岸田首相が、原発再稼働に前向きな発言したらしいけど、貿易赤字の大きな要因の一つが、円安と原油価格高騰によるものであることを考えれば、極めて有効な手段ではある。原発立地県でない人間が、原発を再稼働させろ、というのは、確かに原発立地県の人の心境をわかってないとは思うけど、貿易赤字を縮小させることは、全体として国益に非常に適う。これこそ、具体的な一般意志が成り立たない典型例だろう。結局、政治とは、対立である。対立でありながら、議論を通して落とし所を探っていく他ない。全員が納得できる解はなくとも、議論そのものをタブー視してはいけない。国の財政負担の最大の要因である社会保障費についても、ずっと昔から言われ続けてきたが、小泉政権で何をやったのか、その当時興味もなかったし、当然経済学の知識もなかったからよく知らないが、何やら社会保障費を削る策を講じたことらしいことは知っている。しかし、結局は、社会保障費の膨張に根本的な解決策は見いだせていない。例えば、デフレだからマクロ経済スライドを適用して、年金を減額でもしようものなら、年金受給者から猛批判を浴びる。医療の既得権益を削ろうとして、病院新規開設を促進しようとしても、日本医師会から抵抗にあう。それこそ既得権といえばその通りだが、そんなこと言ったら、年金を受給してる高齢者はみんな既得権益者だ。かといって強引に社会保障費を削る、なんてことをしたら、それこそ生きていけない人が巷にあふれるだろう。それに比べれば、貿易赤字の緩和は、抜本的な解決策とは言えないにしろ、まだ選択の余地のある課題だ。尤も、日本は「成熟した債権国」になりつつあるので、貿易赤字で稼ぐ段階ではもはやないのだが。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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