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曽根崎心中 (再掲)
愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、男が女郎をカネで身受けしようとするが、心中する、という悲...
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2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。...
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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...
①帝国クライスと国連の関係、②集団的自衛権と集団安全保障の違い、について山梨大学の皆川卓先生にうかがいました。(放送大学面接授業「神聖ローマ帝国の歴史」の先生です。) 第一の質問ですが、コトは少々複雑です。神聖ローマ帝国の帝国クライスは、帝国の解体と共に忘れられていました。しかし帝国クライスがまだ健在だった18世紀初頭、フランスのサン・ピエール(Charles-Irenee Castel de Saint-Pierrem 1658-1743)という聖職者・外交官・政治哲学者が、帝国クライスの仕組みと活動を見て(サン・ピエールの主君であるフランス王ルイ14世は神聖ローマを侵略して帝国クライスに痛い目に遭っていました)、これをお手本に、ヨーロッパ各国が恒久的な同盟を結び、共通の会議や裁判所を持てば、戦争は防げるという著書『ヨーロッパに永久平和を回復するための計画』(Projet pour rendre la paix perpe'tuelle en Europe)という著書を著します。この著書を褒めながら、「平和を希求する君主の同盟では、彼らの心変わりがあって心許ない。国際安全保障は人権の土台である平和を守るという人民の意思に基づかなければ」という修正を加えたのが、有名な政治哲学者ルソー(Jean Jacque Rousseau, 1712-78)が1761年に著した『サン=ピエール師の永久平和論抜粋』(これは日本語訳のルソー全集4巻に入っていて簡単に読めます)でした。そして彼の著作に触発されたのが、これも有名なプロイセンの哲学者カント(Immanuel Kant, 1724-1804)で、彼はルソー論文の理論を発展させ、国際安全保障に必要な条件を列挙した『恒久平和のために』(Zum ewigen Frieden)という論文を1795年に著します(これも岩波文庫に入っていて簡単に読めます)。これがその後の国際安全保障構想の土台になる論文で、19世紀にイギリスの国際法学者ロバート・フィリモア(Robert Phillimore, 1810-85)の多くの論文によって、国際法を実現するためになくてはならない機構と訴えられることになり、その息子の国際法学者ウォルター・フィリモア(Walter Phillimore, 1845-1929)やフランスの政治理論家レオン・ブルジョワ(Leon Bourgeois, 1851-1925)、ドイツの国家学者ゲオルク・イェリネク(Georg Jellinek, 1851-1911)ら広い範囲の学者たちの支持を得るに至りました。そして第一次大戦の最中、大英帝国の南アフリカ担当大臣で総力戦の繰り返しを防ぐにはどうしたらよいか考えていたヤン・スマッツ(1870-1950)がカント(>ルソー>サン・ピエール>帝国クライス)の理論を知り、これを元に新しい国際安全保障体制の構想を立て、同じく安定した国際秩序の樹立を考えていたアメリカの大統領ウッドロー・ウィルソン(Th.Woodrow Wilson, 1856-1924)に紹介し、第一次世界大戦後の国際秩序再建の折に、世界初の国際機構「国際連盟」となって実現したわけです。第二次大戦後の「国際連合」が「国際連盟」の機能を強化したものであることはご存じの通りです。というわけで、現実が思想になってまた現実を生み出すには、長い長い過程が必要です。ただし元になる現実がなければ思想も生まれないわけで(たとえばこうした例がないアジアでは、国際安全保障体制の構想は生まれませんでした)、その意味では帝国クライスは画期的だったと言えます。 第二の集団的自衛権と集団安全保障は大きく違います。それは集団的自衛権が、仮想敵を具体的に想定して結ぶ部分的な国家連合であるのに対し、集団安全保障は仮想敵を想定せず、安全保障にかかわる全ての国と同盟し、想定外の状況としてその一部が安全を脅かした場合、他の全ての国がこの脅威の除去を義務づけあうからです。そのため集団的自衛権は地域的にもまとまらない2カ国(多くは遠交近攻関係)から数カ国の同盟に留まるのに対し、集団安全保障は世界全体を覆う国連をはじめ、神聖ローマやスイス盟約者団(1848年以前のスイス)、合衆国成立(1787年)以前のアメリカ13州のように、一定地域内の国をすべて同盟内に取り込みます。ただし現実の組織においては、この両方の目的を持っている場合が少なくありません。それは安全保障にかかわる全ての国を同盟の中に取り込むことができない場合、取り込むことが出来ない国々は全て敵になるかもしれない存在だからです。神聖ローマは帝国内では集団安全保障機構でしたが、オスマン帝国やフランスに対しては集団的自衛権のための同盟でしたし、アメリカ13州も独立を認めないイギリスに対しては同様でした。近代でもたとえばヨーロッパと北米大陸のほとんどの国を含む北大西洋条約機構(NATO)は、大西洋地域では集団安全保障の組織ですが、ソ連率いるワルシャワ条約機構の諸国がある東ヨーロッパに対しては、集団的自衛権のための組織として機能していました(残念ながら現在でもロシアなどに対してはそのように機能しています)。ですから同盟をより集団安全保障機構に近づけていくことが、戦争の危険を避けるために重要です。
返信削除お互いが、お互いに対して、反撃してくると予想するからこそ、一度戦争の火蓋が切られれば、止まらなくなるんだろうが。敵基地攻撃能力を反撃能力などと言い換えたところで、本質は何も変わらない。安倍のクソ野郎が右翼陣営に阿っているだけの話だ。
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