2022年3月6日日曜日
判断
もちろん、既往症があって、高齢ならば、細かい体調の変化にも十分注意を払う必要があるんだけど、結局、どこを見て、どこを見ないか、あるいは、どこを見ないか、よりも、どこを過剰に見てしまっているか?という問題もあるかもしれない。
原発事故のあと、椿の葉の形が奇形だとか、イチゴの形がオカシイとか、蟻がぐるぐる円を描いて行進しているとか、水たまりに黄色い花粉が浮遊していて、これはイエローケーキなんじゃないか?などと騒がれたけど、実は、それは原発事故のはるか以前から、普通に起きていた現象なのに、不安心理に駆られた人たちは、そこに、過剰に意味を見出してしまう。
自分自身も経験あるけど、人間のメンタル自体が、細かい変化に過剰に意味を見出して、誇大妄想を抱いてしまうこともある。
細かい変化に注意することは大事だけど、見過ぎてしまうことも、判断を誤らせる。
では、なぜ、今回、母親の脳梗塞で、自分がおかしいと思って救急車を呼ぶ、という判断をしたのか?
それは、やはり、母親に過度の負担が常態的にかかっている、という前提があったからだろう。
それに、母親が健康番組をよく見ていて、こんな時は危ない、というシチュエーションの蓄積が、自分のなかにあったからだろう。
まったく同じシチュエーションというのはないと思うんだけど、人間の判断能力として、何かしら類似点を見出す、という思考パターンはありそうだ。とはいえ、それも間違いである場合も多々あるだろうけど。
微細な変化に、過剰な意味を見出して、しかもそこにパターンを当てはめてしまうことは、人間の判断力の重要な能力であると同時に、欠点でもあるかもしれない。
大学レベルの専門教育に意味があるのは、何でもかんでも知ろうとすることではなく、何かの分野で、これに関してはわかる、というレベルまで勉強することは、たとえその分野とは関係ないシチュエーションに遭遇しても、こんなパターンがある、あんなパターンもある、という引き出しが得られるからではないだろうか。
しかし、現代社会の病の一類型なのかもしれないが、こんな事態はかつてなかった、だから、今までのやり方、あるいは今までの学問は通用しない、という潮流は、この10年くらい、徐々に弱まってきたとはいえ、強かったように思われる。その右往左往ぶりが、結局は浅薄なスノビズムや、あるいは排外主義につながったと言えるかもしれない。
ただし、明治維新のように、本当に国の仕組みを根本から揺るがすような事態も、たまにはあるけど。
あるいは、東日本大震災の経験も、こんな事態はかつてなかった、だから今までのやり方ではダメだ。という心理を一般に広めたとも言えるだろう。安倍長期政権を支えた裏にはこのような心理も働いていただろう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
妄想卒論その7 (再掲)
「ウォール街を占拠せよ」 を 合言葉に 米国で 反格差のデモが広がったのは 2011年。 怒りが新興国に伝播し、 米国では 富の集中がさらに進んだ。 米国の 所得10%の人々が得た 所得は 21年に全体の46%に達した。 40年で11ポイント高まり、 ...
-
2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。...
-
もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...
0 件のコメント:
コメントを投稿