2022年3月6日日曜日

人工知能と意識

今朝の日経に、人工知能に意識を宿らせられるか?みたいなことが書いてあったけど、自分では、自分の意識を感じることができるけど、他人に意識が宿っているか?って、実は確かめようがないよね。実感としてそう思ってるだけで、論理として自分以外の他者の意識の存在は確かめられるんだろうか?そもそも他者が存在するのかどうかすら、確かめようがないかも。 突拍子もない話かも知れないけど、18年間犬を飼った経験として、犬にも意識があるけど、それなら、なぜ人間は犬より高等な生き物なのだろう?そう考えるのは、人間の傲慢ではないのか? 棄てられた犬が、毎日毒ガス部屋に送り込まれて、焼かれるのが正当化されるのはなぜなのか? いや、人間だって、それを正当化する理屈が圧倒的になれば、同じような扱いを受けてきたじゃないか。 人工知能に意識を宿らせることが出来れば、いくらでも意識をコピーすることが出来るだろうから、全く同一の自我を持ったマシーンが数限りなく存在する、というのは、とても気持ち悪い。 そもそも、自分の意識だって、子供の頃と、大人になってからとでは、明らかに違う。 結局、人間の自我というのは、自分の現在と過去を往還して、都合の良いようにストーリーを造り上げただけかも知れない。 人生は、偶然に支配されているのに、あたかも全て必然だったと思い込んでいるだけなのではないか?

0 件のコメント:

コメントを投稿

曽根崎心中 (再掲)

愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、男が女郎をカネで身受けしようとするが、心中する、という悲...