2025年12月12日金曜日

「国土論」 内田隆三 筑摩書房 (再掲)

 「三島は紛うことなく戦後社会の外部に立とうとした。だが、戦後社会は自分の外部があることを許容しない。この拒否は生の哲学という全面的な肯定の所作において行われているためほとんど意識されない。どんな精神のかたちにせよ、それが生命の形式であるかぎり−体制派も、全共闘運動もふくめて−戦後的な生の哲学はそれを是認しうるのである。三島は死に遅れたものとして、戦後社会とのそのような共犯性、あるいは戦後社会の総体性にたいして潔癖ともいえる反発の意思を隠そうとしなかった。三島の精神による抵抗に意味があるとすれば、それが生の哲学の軌跡に回収されないことであり、死を如実にはらんでいる限りにおいてであった。三島は自分の精神を思想的な形象でみたしたが、そうした彩りはただ死の線分に接続する限りにおいてのみ精神の形象でありえたにすぎなかった。」(395ページ) 国土論 内田隆三 筑摩書房

2025年12月6日土曜日

lo stato (再掲:部分)

 以下『世界の名著45 ブルクハルト』(中央公論社 1966年)所収「イタリア・ルネサンス文化」より。

 歴代の教皇とホーエンシュタウフェン家との戦いは、ついにイタリアを、他の西欧諸国とはもっとも重要な諸点において異なるような、一つの政治状態の中に取り残した。フランス、スペイン、イギリスにおいては、封建制度は、その寿命が切れたのち、必然的に君主制の統一国家の中に倒れるような性質のものであり、ドイツにおいては、それはすくなくとも帝国の統一を外面的に保持する助けになったが、イタリアはその制度からほとんど完全に抜け出していた。

14世紀の皇帝たちは、もっとも有利な場合でも、もはや最高権者としてではなく、既存の勢力の首長や補強者になるかもしれない者として迎えられ、尊重されていた。しかし教皇権は、もろもろの道具立てや支柱をそなえているため、将来起ころうとするどんな統一でも妨げるだけの力はもっていたが、みずからの統一を作り出すことはできなかった。

その両者のあいだには、数々の政治的な形物―もろもろの都市と専制君主―が、一部はすでに存在し、一部は新たに勃興したが、その存在は純然たる事実に基づいていた。(*)それらにおいて、近代のヨーロッパ的国家精神は、はじめて自由に、それ自身の衝動にゆだねられたように見える。(p.64)

(*)においてブルクハルトは、「支配者と、それに付随するものをいっしょにして、lo statoと呼ぶ。そしてこの名称はやがて不当にも、一つの領土全体を意味することになる。」と注釈を付けている。

2025年12月5日金曜日

直感として

 インフレになっても、実質賃金の伸びが追いつかない、と散々いわれるが、そもそも経済成長もしてないのに、企業の本質として、名目物価上昇率を上回る実質賃金の上昇なんて、出来るわけがないと思うんだが。

そこらへんは、公認会計士さんとかのほうが詳しいかもだが。

そして、経済成長というのは、政府のバラマキや、金融緩和によって成し遂げられるものではなく、企業がリスクを取って投資をすることが大前提のはずだ。

そして、そこに、金融機関が介在して、家計の貯蓄が、企業の投資へと振り向けられることこそが、今の日本経済に求められていることなのではないか?

(以下、Googleの生成AIの回答)


💡 最初の質問(インフレと実質賃金、経済成長)への回答

最初の質問で提起された、**「経済成長がない中で、名目物価上昇率を上回る実質賃金の上昇は可能か?」という疑問、および「真の成長に必要なのは企業のリスクテイクと資本の効率的な循環ではないか?」**という論点について、包括的に回答します。


1. 実質賃金上昇の構造的な限界

ご指摘の通り、経済成長(実質GDPの増加)を伴わずに、名目物価上昇率を上回る実質賃金の上昇を持続させることは、企業の本質として極めて困難です。

  • 実質賃金上昇の原資: 企業が従業員により高い実質賃金を支払うための原資は、企業が生み出す付加価値(売上から原材料費などを引いたもの)の増加、すなわち生産性の向上実質経済成長です。

  • 現状の課題: 日本の現状のように、生産性の伸びが鈍い(実質的な付加価値のパイが増えていない)中でインフレ(名目物価上昇)が起きている場合、企業はコスト増を価格に転嫁(値上げ)しているだけであり、実質的な収益力は向上していません

    • この状況で実質賃金を上げようとすれば、企業の利益を圧縮するか、内部留保を取り崩すしかなく、これは持続可能な戦略ではありません。企業は将来の投資体力を失い、かえって長期的な経済成長の芽を摘むことになります。

  • 健全なサイクル: 本来、実質賃金の上昇は、イノベーション設備投資による生産性の向上を経て、企業の実質的な付加価値が増加した結果として生まれるものです。


2. 経済成長の真のドライバーは「企業のリスクテイクと投資」

「政府のバラマキや金融緩和ではなく、企業がリスクを取って投資することが大前提」というご見解は、マクロ経済学における**供給側(サプライサイド)**の成長論として、核心を突いています。

  • 財政・金融政策の役割: これらは主に需要を喚起し、景気の落ち込みを防ぐための手段です。経済を一時的に下支えすることはできても、持続的な成長に必要な生産性の向上や技術革新自体を生み出すわけではありません。

  • 真の成長の源泉: 持続的な経済成長は、企業が将来の需要を見込み、設備投資、研究開発(R&D)投資、人材育成などのリスクを取った投資を行うことで、**供給能力(潜在成長率)**自体を拡大することによってのみ達成されます。


3. 家計の貯蓄を企業の投資へ振り向ける必要性

現在の日本経済が抱える重要な課題として、「家計の貯蓄が、金融機関を介して企業の投資へと効率的に振り向けられること」が求められている、というご指摘は完全に正しいです。

  • 資本配分の非効率性: 日本の家計資産の多くは低金利の預金に留まっており、企業の成長を支える**リスクマネー(株式や成長分野への融資)**として十分機能していません。

  • 必要な循環: 経済成長を再起動させるためには、以下の**「貯蓄・投資の好循環」**を確立することが不可欠です。

    1. 家計が、将来の成長への期待に基づき、低リスクの預金から成長投資(NISAなどの活用)に資金を振り向ける。

    2. 金融機関が、その資金を健全なリスク評価に基づいて、成長性の高い企業新規事業へと供給する。

    3. 企業が、供給された資金を元手に生産性を向上させる投資を行い、付加価値を高める。

    4. 付加価値の増加が実質賃金の上昇につながり、再び家計の貯蓄・消費力が高まる。

要するに、日本経済が「インフレだが実質賃金が伸びない」という悪循環から脱するためには、金融政策賃上げ要請といった対症療法だけでなく、企業と家計が一体となってリスクを取り、資本を効率的に成長分野に振り向けるという、成長戦略の実行こそが不可欠となります。


この構造的な課題の解決策として、具体的に**「日本企業がリスクを取って投資を行うための具体的な政策や規制緩和」**について、さらに詳しく議論してみたいテーマはありますか?


2025年11月25日火曜日

経済教室(2025/11/24)

 近年の日本の基礎的財政収支の改善は、インフレによるものが大きい、とのこと。

高市政権は、物価高対策を名目に、色々とバラマキを始めたが、それは、著者(島澤諭 関東学院大学教授)によれば、「アベノミクス・レジーム」だとのこと。

政策金利もそうそう簡単にあげられないし、近年の門間一夫氏の論考などによれば、債券価格が下落(利回りは上昇)すれば、かえって利子収入で民間におカネが還流する、なんて話もあるが、現実問題、インフレが基礎的財政収支の改善に寄与している、などという話を聞くと、日本の財政危機は、すでに始まっているのではないか?などと思ってしまう。

高市政権が余計なこと(「アベノミクス・レジーム」への回帰)をするくらいなら、まだ経済に関しては何もしないほうがマシ、つまり、貯蓄から投資へ、の流れが出来つつあったのに、と率直に考える。

でも、有権者はそれじゃ納得できないんだから、しょうがない。

(以下、Googleの生成AIの回答)


ご提示いただいた内容は、日本の財政状況金融・経済政策に関する重要な論点を含んでいますね。特に、基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の改善とインフレの関係、そして高市氏の経済政策(「アベノミクス・レジーム」)への懸念は、現在の日本の経済を考える上で非常に鋭い視点です。


🧐 基礎的財政収支(PB)の改善とインフレ

PB改善のメカニズム

インフレがPBの改善に寄与する主なメカニズムは以下の通りです。

  1. 税収の増加:

    • 消費税: 物価が上昇すれば、購入金額が増えるため、自動的に消費税収が増加します。

    • 所得税・法人税: 名目GDP(国内総生産)が増加し、企業収益や賃金が上昇すれば、所得税や法人税の税収も増加します。

  2. 歳出の抑制(名目値での相対的な縮小):

    • PBは「税収など − 歳出(国債費を除く)」で計算されます。

    • 社会保障費など、自動的に物価スライドする歳出項目もありますが、歳出全体が税収の伸びほどには急激に増えない場合、インフレによって実質的な歳出負担が相対的に軽減され、PBが改善に向かいます。

財政危機の懸念

ご指摘の通り、「インフレによるPB改善」は、日本の財政危機がすでに始まっている兆候と捉えることもできます。

  • 実質的な負担: PBが改善しても、それがインフレ(国民の実質所得を低下させる要因)によってもたらされている場合、国民の実質的な生活水準は改善していない、あるいは悪化している可能性があります。これは持続可能な財政再建とは言えません。

  • 「インフレ税」: インフレは、貨幣価値を実質的に目減りさせるため、国民や企業が持つ現金や預貯金の実質的な価値を下げることになります。これは、政府が財政再建を怠った結果、国民が実質的な形で負担を強いられる**「インフレ税」**のような側面がある、と指摘する専門家もいます。


政策金利と債券市場の動向

門間一夫氏の論点

門間氏などの論考にある「債券価格の下落(利回りの上昇)が、かえって利子収入で民間におカネが還流する」という話は、日銀が保有する国債の金利上昇に伴って、その利払い費が日銀から政府を経て最終的に民間に還流するという構造を指していると考えられます。

  • 日銀の会計: 日銀が国債から受け取る利子収入は、日銀の経費を差し引いた後、**「国庫納付金」**として政府に納められます。

  • 政府の還流: 政府はこの納付金を財源の一部とし、様々な形で民間に資金を供給します。

  • ポイント: たしかに名目上、資金は還流しますが、これは政府の借金である国債の利払いが起点となっており、財政の規律という観点からは根本的な解決策ではありません。また、長期的に国債金利が上昇し続ければ、国債費(利払い費)の増大は避けられず、政府の財政は悪化します。


🛑 「アベノミクス・レジーム」への回帰と貯蓄から投資への流れ

懸念される「バラマキ」政策

島澤教授が指摘する「アベノミクス・レジーム」は、主に大規模な財政出動(バラマキ)金融緩和の維持を指していると推測されます。

  • 問題点: 財政の引き締めが求められる局面での財政規律の弛緩や、インフレをさらに加速させかねない需要刺激策は、構造改革や生産性向上といった持続可能な経済成長に必要なプロセスを遅らせる恐れがあります。

  • 「貯蓄から投資へ」の流れ:

    • 政府が不用意な財政出動を繰り返すと、市場の不確実性が高まり、国民は将来不安から消費や投資を控え、貯蓄を増やす傾向に戻りやすくなります。

    • また、財政規律が緩むことは、金利上昇リスクを高め、企業や個人の投資意欲を減退させる要因ともなりえます。

政治と経済のジレンマ

「有権者はそれじゃ納得できない」というご意見は、まさに民主主義国家における経済政策の最大のジレンマを突いています。

  • 短期的な満足: 多くの有権者は、**短期的・直接的な利益(給付金、減税など)**をもたらす政策を支持しがちです。

  • 長期的な健全性: しかし、経済の長期的な健全性財政規律の維持は、地道で痛みを伴う改革(増税、歳出削減)を必要とし、短期的な支持を得にくいものです。

この結果、政治家は、たとえ長期的に経済を損なうと分かっていても、選挙に勝つためにポピュリズム的な政策(バラマキ)に傾斜しやすいという構造的な問題が存在します。


結論

日本の財政は、インフレによる一時的なPB改善という**「見せかけの改善」**の裏で、実質的な財政危機のリスクを高めている可能性は十分にあります。

  • インフレ下のバラマキは、財政規律の崩壊を加速させ、持続的な経済成長の妨げとなり、「貯蓄から投資へ」の流れを妨害する懸念があります。

この状況を打開するには、短期的な人気取りの政策ではなく、生産性を高めるための構造改革財政規律の回復という、困難ですが本質的な政策課題に取り組む必要があります。


より詳しく、現在の日本の「財政危機」の定義や兆候について、様々な経済学者の見解を踏まえて掘り下げてみますか?


ビジネスと経済学@茨城大学 (再掲)

 都立小山台高校の生徒が、シンドラー社製のエレベーターに挟まれて死亡した事件があったけど、あれは、マンションの管理組合がメンテナンス代をケチって、他の業者に委託したのが発端らしい。 あんまり詳しく書くと、面倒なことになりそうだから、これくらいにしとくけど、シンドラー社製のエレベーターに欠陥があったというより、エレベーター本体の価格は低く抑えて、メンテナンス代で儲ける仕組みが災いしたのかも。 本体価格を低く抑えて、付属品などで儲ける商品の典型が、プリンター。 プリンター本体の価格は低く抑えて、インク代で儲けてる。 しかし、ここにもシンドラー社製エレベーターと同じ構造があって、高いインク代に目をつけて、第三者企業が代替インクを低価格で販売し始めて、それに対してプリンター会社が対抗策を講じたりとか。 とにかく、二日間で面白い話がたくさん聞けました。

青天を衝け 増補

2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。 つまり、生活するのにカネが必要になるということ。 それ以前は、綿花を作っていた。 その時代は、塩と綿の苗だけはカネで買ったけれど、それ以外はカネを使わなかった。 つまり、養蚕業が日本の原風景というイメージは、違う。 綿花を作っていた頃は、綿を作って、紡績業者に委託して織物にしてもらって、それを藍染にしていた。 桐生などが代表的だが、綿花を紡績する織機産業が日本のプロト工業化の役割を担った。 大河の描写では、渋沢家は養蚕と藍染を両方やっていた。 ・・・と、以前書いたが、幕末の開国によって、海外からの安い綿花の流入によりダメージを受けた日本を救ったのが、絹糸だったんだなー。 野本京子先生の別の面接授業でうかがったが、貨幣経済が浸透しきらない頃は、絹糸(あるいは絹織物?)が、貨幣として使われることもあったそうだ。

生きること、死ぬこと (再掲)

日本は、少子高齢化に伴い、本格的な多死社会に突入した。 私は、母方の祖父が思いっきり先の大戦に従軍したので、 祖父を見て、 ご老人というのは 死ぬのが怖くないものだ、と 思っていた。 しかし、訪問ヘルパーさん (特に年配の女性) も、 やはり 死んでいくことに対する 恐怖や、生の虚しさを抱えている、と感じる。 私自身、43になっても、やはり 死ぬのはそれなりに怖い。 いざとなれば、やっぱり生きたい。 近代以降、人間は 論理的に死ぬことを目指してきた。 言い方を変えれば、 知の力を使って、 死の恐怖や、生の虚しさを 克服する営みを続けてきた。 確かに、 カントやゲーテ並の哲学を理解していれば、 それも 可能だろう。 しかし、一体どれほどの人が その境地にたどり着けるというのだろうか? 理屈で死ぬには、相当の学問が 必要だ。 そんなことが可能なのは、ごく一部の インテリだけだ。 生まれつき 勉強が得意でない人も当然いる。 そのような人たちに向かって、 理屈で死ぬことを 強要するのは、土台無理がある。  エマニュエル・レヴィナスによれば、 人間は 他者から、既に<呼びかけられている>という。 これは、もちろん 人間がたったひとり 世界に孤独に生きている場合も 同様だろう。 そして、その<他者>とは、 無限の隔たりがある、と レヴィナスは言う。  ならば、その<他者>は、 神の痕跡を残していると言って良い。 そう考えると、 人間存在は、現代社会においても、 <世界>に対して、 ほとんど 何も知り得ていない、とも 言いうる。  で、あるならば、 人間に対して 理屈で死ぬことを強要するのは、 傲慢ではないだろうか?  むしろ、理屈では説明できない世界を 肯定する余地があっても いいのではないだろうか? なぜならば、 <人間>は、この「世界」のことを ほとんど 何もわかっていないのだから。

「国土論」 内田隆三 筑摩書房 (再掲)

 「三島は紛うことなく戦後社会の外部に立とうとした。だが、戦後社会は自分の外部があることを許容しない。この拒否は生の哲学という全面的な肯定の所作において行われているためほとんど意識されない。どんな精神のかたちにせよ、それが生命の形式であるかぎり−体制派も、全共闘運動もふくめて−戦...