専門家からフィードバックを頂戴しました。 ―「こころ」とデュルケム― 森本先生より 私信

  AIレポートは、小林くんの簡潔かつシャープなコメントをタタキ台に、さらに発展させて、デュルケムの知見を借りながら、漱石が「先生」というキャラクターを通して描いた『こころ』の「個人」を「新自由主義」の「個人」を重ね合わせることで、近代における「個人」および「個と社会」の関係性を問い直そうとした論として、たいへん興味深く拝読させてもらいました。

 確かに、明治が経験した急速な資本主義システムの流入と、戦後日本が体験した激しい経済状況の変動、とりわけバブル崩壊のショックとは、ともに旧来の日本的「共同体」の崩壊と個人の孤立・孤独を生み出してゆく社会状況として、見事に重なり合っていると思います。戦後日本の社会変動や思想的動揺が明治維新以降のそれと並行性を持っていることは、しばしば指摘されるところでもあります。AIの指摘は的確ですが、ただ、「漱石」と「新自由主義」の重層性はここまで――経済変動と旧来の価値観の崩壊が生起する個人の動揺まで、のように思います。


 叔父の裏切りによる血縁共同体への不信と訣別、離郷と上京――「先生」を見舞うこの状況は、まさに「新自由主義」の土台にある、「無縁社会化」における「剥き出しの市場競争の荒野」の出現を、あたかも先取りするかのように克明に描き出したものといえるでしょう。しかしながら、それが生みだす「社会的統合」や「社会的規制」に対して「先生」が取る具体的スタンスについては、AIの「読み」――とりわけ「殉死」の美学について隠れ蓑として利用したという解釈については、やはり誤読であると言わざるをえないような気がします。

 具体的でわかりやすい表徴として、まず留意したいのは、「欲望」をめぐる「新自由主義」の「個人」と「先生」の対峙的とさえ評せる決定的違いです。ある意味、同じく資本主義市場の「競争アクター」たる位置に括りつけられながら、前者がそれに巻き込まれた欲望追求型の人生を送るのに対して、「先生」ほど禁欲的な人間はありません。社会に絶望した「先生」が取る「隠遁」が「競争アクター」から徹底的に降りる選択であったことは見やすいですが、この消極的選択以上に、「恋愛」に対する先生の態度は厳格です。「恋」そのものを封じたのは「K」でしたが、「先生」は自分が女性に対して「肉を離れる事のできない身体」であることを明言しながら、しかし、自分にとっての恋愛とは、その「高い極点」として「性欲」を封じた「神聖」で「宗教」的なものでなければならないと語っています(「下」14)。生物的欲求を超越した精神の禁欲主義です。しかもその記号化である<純白な静>といった観念的幻想に、「先生」はある意味、一生、縛られ、支配され続けるのです。

 上記の挿話がすでに暗示しているように、旧社会が崩壊し、社会規範が動揺する時代状況にあって、「先生」はそれに巻き込まれるどころか、実は、いったんは新たな規範(価値観)を打ち立てようとしていたと言えるでしょう。いうまでもなく、それを象徴する標語が有名な「自由と独立と己れとに充ちた現代」(「上」14)です。実は「自由と独立」といった概念そのものは、AIレポートも触れていたように、福沢諭吉も標榜した明治社会をリードする標語でもありました。ところが、この都合の良い標語が、まさに「合理主義的」に、遅れた近代化を克服するためのピラミッド型縦社会とそれを堅固に支えるための立身出世主義へと収斂されていったのは周知の通りです。そもそも、「自由」は「欲望」と、「独立」は「競争成果主義」と背中合わせであることが如実に立証されてゆくのが近代という時代の展開であったということもできるでしょう。

 「先生」は上記のような、自分なりに「近代」の具現であると確信する価値の規範を、「偉くなるつもり」(「下」9)といった言い回しで表現しています。このきわめて抽象的な信念が、実は「道」の追究とそのための「精進」「修養」といった禁欲一途の「先生」と「K」の生き方の基盤でした。想起されるのはクラーク博士の ” Boys, be ambitious. ”です。明治の書生たちが愛吟した格言ですが、「大志」すなわち「大望」は崇高な理想を意味すると同時に、それを成就するためのきわめて現実的な意欲をも指しています。プロテスタンティズムの禁欲的な宗教精神が、またきわめて現実的で功利的な市民社会の日常生活と表裏一体であったことはあまりに有名です。

近代化を急ぐ国家が誘導する「立身出世」主義の野望と、それからの離反をさえ意味する超越的な価値への一体化と。近代国家が誕生して間もない明治期に顕著な「上昇願望」の孕む二面性、より具体的に表すなら「理念」の現実化と観念化の齟齬、といったことになるかと思いますが、「先生」が「近代」を象徴するこれらの概念をきわめて純化、裏返せば狭く、観念的に捉えていたことは疑いありません。「先生」は確かに金銭問題をめぐって叔父に裏切りを感じ、彼が持ち出した従兄妹との恋愛なき結婚に拒否感を抱きましたが、叔父に対する離反が、即、社会に対する絶望を意味していたわけではなく、逆に、未だ見ぬ「(自由)恋愛」――自分の感受性と意思に沿って唯一無二の女性を選ぶといった恋愛幻想に、「個の自由と独立」の最も美しい姿を見出し、それを実現することに「近代的個」の成就を確信して、改めて東京へ乗り出していったのでした。テクスト『こころ』は、「金銭と恋愛」という近代の資本主義システムの2大表徴について、「先生」が前者を人間の最も醜い姿を発見する契機、後者を人間の最も美しい姿として把握している、という残酷な誤認を明快に描き出しています(「下」7)。時代を律する、表裏一体の不可分の2大現象を、別物であるどころか、全く対極として捉えている「先生」の近代観、個人観が分裂と限界を内包していることは、「遺書」の冒頭から露わにされています。

以上の文脈から結論するなら、「先生」の最終的な絶望は、己れ自身が掲げ、いわば一生を投じようとした「自由と独立と己れ」――みずから抱いた「近代的個人」の挫折にこそ求められるべきでしょう。具体的には、いうまでもありません、「恋愛」の頓挫です。「先生」が静との結婚を決意するのは、「K」の激しい恋心を知った焦燥感からです。それはみずからの自由意思による選択などではないどころか、「先生」は早く、「K」の登場以前の段階で、「静」を「神聖」な愛の対象と見てよいのか、「狡猾な策略家」と見るべきなのか――既に「信念と迷い(疑惑)」の間で「絶体絶命」(「下」15)の行き詰まった状態に陥っています。「K」に対する嫉妬に促されて、慌ただしく「静」の母へ結婚の了承を取り付けてしまう「先生」は、いわばこの「肝心の自分というものを問題の中から引き抜いて」(「下」18)、宙吊り状態にしたまま、結婚生活へ及んだのであり、それは現在の「嫉妬は愛の半面じゃないでしょうか(「下」34)」という慨嘆を含んだ述懐へと続いているわけです。「自由と独立」――自分で自分を律する「個人」の誕生を夢見た先生は、こともあろうに、その象徴でもある「自由恋愛」において、畏敬の念を抱く「K」への恐怖心と競争心から、いわば「静」を選ばされてしまったにすぎません。自己とは他者に左右され、他律的に動かされる、曖昧な輪郭しか持つことのできない、自己ともいえない自己でしかなかったわけです。


「先生」のこの最終的な絶望を、しばしば唱えられてきたような叔父の裏切りを反復する自分自身への絶望、つまりは「エゴイズム」への絶望といった、ストーリー展開に帰してしまうのは、やはり一種の誤読でしょう。「共同体」的な旧時代の価値観に訣別し、それに代わる新たな価値として、功利的で欲望的な現実社会を悠々、凌駕するような超越的な志を戴き、「自由と独立と己れ」に充ちた「個人」を生きるべく人生を踏み出しながら、その初期段階ともいうべき「恋愛」において、みずからその意思の自由と独立性を封じてしまった「先生」にとって、未来は空洞化されてしまいます。過去はみずからの意志で葬り去り、未来は空無化してしまった「先生」の状態は、まさにクレバスの裂け目に落ちた、拠るべきものを持たない宙吊り状態と評せるのではないでしょうか。「明治の精神」という作中、一度きりしか使われることのない謎語が忍び寄ってくるのは、ここです。

富国強兵と立身出世の階層化が堅固に作り上げた明治国家システムと、みずから別れを告げてきた共同体的な旧世界と。2つの時空の裂け目に陥りながら、むしろそのいずれにも足をかけることを拒み続けているのが「先生」です。この状態を、あえて「明治」の「精神」と名付けるのは、いうまでもなく、「先生」が、まずは帝国大学卒業生に名を連ねる、紛れもない知的エリートとして、ある意味、「明治」に固有の上昇気流の中に、一度はまちがいなく身を置いていたからです。しかし、ある意味、近代資本主義世界の倣いに則れば当然の展開ながら、最初は金銭、次に恋愛を契機に、彼は卑俗な欲望的世界に呑み込まれそうになる、のみならず、その欲望さえもが「己れ」に発するものでないどころか、他者の欲望を模倣し、他者に左右されたにすぎないことに気付かざるを得ませんでした。上に述べた「上昇願望」の本来的な二面性と矛盾が裂け目を見せ始める地点でもあります。明治-近代という新しい季節を懸命に生きた結果として、「先生」は実現するはずだった「自由・独立・己れ」を虚しく反芻しながら、同じ知的エリートたちが営々と築き上げつつある国家的・功利主義的な「明治国家」システムの中を「ズレ」を激しく感じながら生き続けるしかなかった――換言するなら、「ズレ」を痛烈に感じ続ける<痛み>の感覚において、彼はかろうじて生きているという実感的手応えを手にしていたのだといえるでしょう。

「明治」という時代を、そこに在るはずだった、在ってしかるべきだった理想や価値を、観念の作り出す幻想にすぎないと気づきながら、戴き続けた者たち(「先生」や「K」やそれに類する「私ども」―「下」55)。そういった種類の人間の虚しさと矜持が相半ばするようなレーゾン・デートルを表象するのが、「明治-の-精神」ではなかったのでしょうか。「自由と独立と己れに充ちた現代」という言葉に続く「先生」の表白――「我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならない」は、上記の構造を一気に凝縮したものといえるでしょう。それは「国家の権威/国家道徳」はもちろん、「時代精神」そのものからの激しいズレ――離反と脱落を代償とした痛烈な批判的態度であったはずです。もしもそこに払拭しきれない、一種のナルシスティックな自己陶酔があったとするなら、それは<空虚を生きる>とでもいった、自己否定にエクスキューズされた自負と自尊の念であったでしょう。但し、そのような辛辣な「読み」よりも、私としては、小林君のコメントのクライマックスにして、最も美しい箇所――最後に仮託される「魂の生存領域」を見出す「読み」の方が適切にして自然なように思います。

上記のような「先生」の精神構造を脇から支えているモチーフとして、「乃木殉死」の挿話を挙げることができます。

「乃木殉死」を「国家道徳」として把握するAIの分析は、ここでもやはり片手落ちです。それは帝国主義化に伴う後世の<神話化>作用の産物であり、そもそも「殉死」という発想自体が「封建」道徳に基づくものであり、しかも徳川四代将軍、家綱の時代に早くも禁止の沙汰となっています。いうまでもなく、乃木当人にとっての殉死の意義は、「殉死」本来の封建道徳に基づく「君」に対して「臣」の果たす「忠義」の証しでした。橋川文三は名評論「乃木伝説の思想―明治国家におけるロイヤリティの問題」(初出は『思想の科学』第6号、1959.6)において、乃木にとっての「明治国家」は、「明治天皇の人格的存在に内在するもの/その同一化」でしかなく、彼は「近代国家としての日本」というものを、そもそも「その内面的な立場」からは決して理解していなかったのではないかと論じています。続けて橋川は、日露戦争で二児を喪った乃木が断固として養子縁組を拒否した背景に、乃木伯爵家断絶を以て、明治国家が新たに創出した「華族制度」を否定しようとする乃木の強い意志を読んでいます。これらが示すのは、「明治国家」の成立と共に生じた、「天皇」における「主君」から「国家元首」への立場の移行、つまりは一人の天皇をめぐる2つの顔の「ズレ」であり、封建制度と近代国家システムとの「ズレ」でもあります。いうまでもなく、「先生」における近代国家と自身の抱き続けた観念的な価値規範の「ズレ」と重なるもので、乃木の「殉死」に「死ぬ機会を待っていたらしい」(「下」56)乃木さんが遂に見つけた死に処を読む「先生」は、乃木に自分と同じ2つの時代のクレバスで宙吊りになる「生きる屍」を見出し、強い共感を寄せているといえるでしょう。但し、留意しておきたい決定的な相違として、乃木の武士道的封建道徳は、過去に押しやられながらも、乃木の中では至上の価値として輝き続けていたのに対して、「先生」にとって共同体の論理は、みずから葬り去ったもの、葬り去るべきものだったことです。「先生」は「K」の中に「尊い過去」(「下」43)とでも呼ぶべきものの片鱗を見出すことは出来ても、自身においてはノスタルジーを寄せる過去を完全に喪失しており、ここに「先生」の悲劇があると同時に、裏返せば、その近代批判の鋭さが担保されているのだといえるでしょう。

「遺書」が描き出す「先生」の軌跡は、決して孤立を極めたエゴイスティックな自殺を華麗に彩るために、「殉死」という「明治」の美学を隠れ蓑に利用したものではありません。むしろ、明治という時代と深くコミットしながら、誠実であるためにはそれとのズレを選び取らざるを得なかった半生を赤裸々に語るものです。社会との離反は、そのまま社会との葛藤を内包しており、そこに漱石の文明批評の的確さと痛切さがあるのではないでしょうか。それは、むしろ「新自由主義」の孤立を前提とした、それ故「競争アクター」に徹せざるをえない現代人おn孤独な生き方とは対極的でさえあり、ここに、漱石の文明批評、ひいては「個人」観が、あくまで「社会」との関係性の中で模索され、育まれたものであることが如実に浮かび上がってくるように思います。

なお、AIの犯した誤読で、さもありなんと思われるのが、「私」の「遺書公開」が「先生」の遺志を裏切るものであった、という「読み」です。むしろ話は逆で、「先生」は遺書の末尾で「私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです」(「下」56)と明言し、他ならぬ、信頼する「私」の手を通じて、それが心ある真面目な青年たちの手元へ、人生を生きる「参考」として届くことを願っています。遺書冒頭では、「あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから」、「何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を語りたい」と述べていますが、翻せば、自分の過去を「受け入れる事」のできる、つまりは真面目な若人には、「生きた教訓」として過去を語る「遺書」を提示したいという思いは強く、それが「あなという一人の男が存在していないならば」、自分の過去は「間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう」という逆説的表現を導き出しています。(「下」2)

いうまでもなく、「先生」は自分が時代から離反することで果たすことのできなかった新しい価値の実現を、「私」を筆頭とする次世代の真面目な青年たちに託しているわけで、ここに、あくまで個人を社会との相関関係で捉えようとする漱石の強い意志をみとめることができるでしょう。死んでゆく「先生」も漱石の分身なら、その叶わなかった願いを引き受ける「私」もまた、漱石のもう1つの分身といえるかもしれません。蛇足を加えれば、よく似た構造を持つ村上春樹の「鼠」三部作では、分身間の役割が逆転して、死んでゆくのが「鼠」、生き残るのが「僕」となっており、漱石と春樹をめぐる差異の一つとして指摘できると思います。

興味深いのは、自分の暗い経験を、むしろ教訓として次世代へ伝えたいという「先生」の遺志から唯一、省かれているのが「静」である点です。「遺書」、つまりは長編小説『こころ』のラストは「妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべて腹の中にしまっておいてください」(「下」56)と結ばれています。まずは、「静」は「先生」の親密な人間関係から徹底的に排除されているといえます。しかし、この「死」を代償に、なお近代-個人をめぐる想念を伝授したいと願う「先生」の在り方に「社会」との関係に強く囚われる男性中心主義を見出すならば、逆に、排除された「静」こそは、男性中心主義を免れ得る希望の星を意味することになるでしょう。「明治」を生きた男たちが、想いの齟齬はありながら、天皇、乃木大将、「K」、「私」の父、「先生」と次々、命を失ってゆく中で、この閉じた系を開く可能性として、テクスト『こころ』が、「大正青年・私」と「明治の女・静」を目していた、というのは、ちょっと愉快な空想です。「恋愛結婚イデオロギー」に囚われ続けた「先生」からの唯一の贈り物かもしれません。


つい、長々と駄文を記してしまいましたが、AIは社会状況や思想の分析は正確ですが、

社会の構造や時代の流れに添いながら、逸脱したり越境したりが文学テクストの信条です。おそらくネット上で拾える、参照可能な資料の絶対数が少ないこともあって、文学作品はAIの死角になっていることが多く、誤読もそこそこあるのが通例です。今回は、小林君の結論ともいえる「魂の生存領域」についてはきれいに掬い出してくれてはいるものの、小林君のコメントが持つ、言い切っていない空白、余白の部分――とりわけ「先生」の「死」に「国家」への殉死でさえなく、終りを告げた明治という「時代」への「生」の仮託を読むと述べる小林論を掬い切れてはいないように感じ、そんなところから拙論を組立ててみました。見当違いのお節介になっていたら、くれぐれ失礼お赦し下さい。


注)叔父に「共同体」、「K」に「仏教の世界」を当てる小林君のコメントに対して、AIが「K」を「絶対的精神の求道者」と言い直していたのは、誠実な訂正だと思いますが、加えて、「K」が「先生」と(ということは、あの叔父とも)同郷である、という点もポイントではと思います。

 なお、「K」の一身上ですが。AIが「実家を否定して飛び出し、学資を断たれる苦難を選択した」と解説しているのは不正確です。「K」は生家を飛び出したのではなく、秀才であることをかわれて医家へ養子に貰われていったのであり、養家を欺いて、学資を出してもらいながら勝手に医学の勉強から文科の勉強へ転じていたのが発覚して、まずは養家から実家へ戻され(-復籍)、そして実家からも「勘当」の処遇を受けた、というのが正確な履歴です。


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