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봄이 거의 다 왔다 !

 気分はひと足早く、春。 言葉の金庫としてのみやもとクリニックの宮本先生のところに行って、(今はここではどことは言えないが)、この面接授業を受ければ、自分の過去の呪縛から、一旦降りて、必要な時にはレゴブロックみたいにまた喰っ付けられる、とお話して、一旦帰宅して、すぐ眼科に行って視力検査してもらったら、視力がちょっと良くなってた。 結構、気持ち次第で違うもんだ。 その面接授業、内容が、最初は気付かなかったが、まさに俺のこの地獄のような四半世紀の歩みそのものだ!といった感じ。 それを、今までは他人に話すことさえ憚られた過去の古傷を、主観を排して、数理科学として客観的に学問として捉え直すことが出来れば、この過酷だった四半世紀を、論理として昇華できるんじゃないか。 そう目論んでいる。 もちろん、痛みがようやく消えそうな過去の古傷を、わざわざナイフで抉るようなものだから、最初は、勘弁してくれよ!と思ったが、慣れてくると、いや、そこを頑張って向き合えば、過去という重い荷物に縛られず、かといって捨て去るでもなく、それこそレゴブロックのように、自由に着脱可能に出来る、と睨んでいるのだ。 夢の途中

ベクトル

 だんだん、ベクトルの何が凄いのか、わかってきた。 内積って、そういうことか! まだ全貌を把握したわけではないが、やっぱ、たかがベクトルと思ってたけど、こんな中年になるまで、高校数学で何を教わっていたのか、何ひとつ分かっていなかったことだけは、分かった。 ベクトルってすげーな! 今さら何かの役に立つとかではない(?)が、一応高校を卒業した人間として、自分が高校生の時、何を教えられていたのかぐらいは、最低限知りたい。

えー時代になったなー

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  高校数学がわかんなくて、いくら努力しても、全然身につかなくて、そのせいでセンター試験で3回も足切りされたんだけど、高校数学でモヤモヤしていたこと、例えば、数学的帰納法は、なぜすべての自然数に適用できるのか?とか、複数回微分するためには、点の集合である数直線のどこを切っても、対応する数が必ず存在するはずだ、とか、なんとなく疑問に思っていたんだけど、そういうことを、スマホのAIに聞くと、すげえ分かりやすく解説してくれるんだよね。 そうしたら、なんか数学って奥が深いんだなあーと思って、なんかまた懲りもせず高校数学(文系)を勉強したくなってきて、佐藤恒雄千葉大学名誉教授の参考書買ったらさ、とりあえずベクトルの本が届いたから、ベクトルからやり始めたらさ、もう、脳がビンビン感じちゃって、逝きそうになりました。 ベクトルだけでもこんだけ楽しい、しかも、ちょっと齧っただけ、なのに、これだけ楽しめるとなると、春休みは相当充実した時間を過ごせそうだ。 これはもう、革命だ! 武蔵の数学科の教師が作った教科書より、遥かによく出来てる・・・と、思う。

アリストテレスの倫理学@茨城大学 レポート (再掲)

 アリストテレスの倫理学を構造主義との対比で取り上げる。 私の実感でも、知的権威が昔より相対化されたと感じられる。自分は大学教授だぞとか、どこそこの研究者ですごい研究してるんだぞ!という肩書きでは良くも悪くも通用しなくなってきている。  アカウンタビリティーという言葉が象徴するように、いくら知的権威があっても、それを素人の一般市民に説明できなければいけない、という風潮を感じる。  それは 「知」の民主化、という意味では良い側面だと思われるが、悪い側面としては、一般市民が、知的オーソリティーを信用しなくなった、つまり、より陰謀論じみた話や、そもそもおよそ学術的に間違った話を臆面もなく信じ込む、という現象が現れてきた。  そこに政治が漬け込むと、いわゆるポピュリズム政治が生まれ、政治が極端な方向へと進む傾向が見られるようになってきた。これは、構造主義による「知」の権威の相対化の功績とも言えるのではないか。  ニーチェは「善悪の彼岸」のなかで、こう書いている。  「形而上学者たちの根本信仰は諸価値の反対物を信仰することである」   ある哲学者が 「善」を信じているとすれば、その哲学者は 「善」を信じているというより、「善」の価値を正当化するために、その 「反対物」にあたる 「悪」をひそかに (おそれながら?) 信じている、というわけである。  「不思議の国のアリス」の世界で、価値の問題を文字通り体現していたのは、トランプのすがたをした登場者たちだった。なぜなら彼らの存在は、トランプの序列における差異を基準にして、その「価値」を決められていたからである。  ここには、ソシュールが言語について 考えていたことに 通じる大切なポイントが 含まれている。  それは、カードの「価値」とは役割であること、言い換えれば、カードの 「価値」は、それぞれのカードの差異の関係と、トランプ全体の体系内における各カードの位置関係から生まれてくるということである。  つまり「王」や「女王」も、他のカードがなければ、そしてトランプと呼ばれるカードの体系がなければ、「王」や「女王」として君臨できなかった。それゆえ 「王」や「女王」の権力は、たとえどれほど周囲の者たちに脅威を与えたとしても、彼らの...

カント哲学と現代日本の自由 (再掲)

  カント道徳哲学から読み解く現代日本社会の「不自由」と真の自由への道 第一章 序論:液状化する社会における「不自由」の診断 1.1 現代日本社会における「窮屈さ」の感覚と構造的背景 現代日本社会は、経済的な豊かさと高度な技術的進歩を享受しているにもかかわらず、多くの個人が内面において、自己決定の困難さや、生き方に対する漠然とした「窮屈さ」や「不自由」を感じている。この不自由は、政治的・物理的な強制力によるものではなく、むしろ、個人の**意志が外部の傾向性や目的へと自発的に従属する「意志の他律」**によって構造化されている点に特徴がある。結果として、個人は自身の内発的な動機や、行為それ自体を享受する「享受の快」を奪われ、精神的な負担を増大させている。 この構造的な窮屈さの背景には、社会全体の流動化と不安定化がある。社会学者のジグムント・バウマンは、現代社会を、固定的で長期的な制度や慣習が溶解し、すべてが絶えず変化する『リキッド・モダニティ――液状化する社会』として捉えた 1 。このような社会では、信頼や共同体が欠落し、個人は常に流動的な外部環境への「適応」を強いられる。この適応圧力は、自己の存在を維持するための最短かつ最も合理的な手段を絶えず選択させる、過度な「目的指向」を個人に内面化させる土壌を形成している。 この構造的圧力の存在は、複数の実証的データによって裏付けられている。労働者に関しては、実に8割以上が強い不安、悩み、ストレスを感じているというデータがあり 2 、社会全体が慢性的な精神的負荷の下にあることを示唆している。さらに、将来のキャリア形成を控えた大学2年生の約97%が就職活動に不安を感じており、その理由の上位が「希望の就職先が見つかるか」「自分の強みを見つけられるか」「希望している就職先に内定をもらえるか」である 3 。これは、学生が「自己理解」を外部の市場価値や志望企業への「適合」という観点から測り、自己を客観的な競争資源として測定し、外部の期待に適合させようとする傾向が強いことを明確に示している。 ここで注目すべきは、この不安が、客観的な雇用の不安定さから生じているわけではないという点である。大学(学部)の新卒者の就職率は98.0%と極めて高い水準にある 4 。しかし、就職がほぼ保証されているにもかかわらず、就活不安率が97%に達するとい...