預けたのは、鍵ではない。
ましてや、形ある財(たから)でもない。
私があなたに手渡したのは、目に見えぬ「熱」のようなものだ。
思えば、人生とは「託す」ことの連続だったのかもしれない。
かつて誰かが灯し、絶やさぬように守り抜いてきた火を、
私たちは知らず知らずのうちに受け取っている。
それが「伝統」と呼ばれようと、「志」と呼ばれようと、
本質は、祈りに似た切実なバトンだ。
「託す」という字には、言葉を寄せるという意味がある。
言葉にならない思いを、信じられる誰かの背中にそっと置く。
それは、自分の一部を切り離して、相手に委ねる行為だ。
だからこそ、託す側には断腸の覚悟が、
そして託される側には、背筋を正すほどの静かな矜持が宿る。
もし、私の歩みが止まる日が来ても、
あるいは、私が私自身の輪郭を見失いそうになっても、
どうか、その火を消さないでほしい。
私が守りたかった「暖簾」の白さを、
あなたがその瞳で、その手で、証明し続けてほしい。
託すことは、諦めることではない。
それは、自分という枠を超えて、永遠(とわ)に命を繋ぐための、
最も能動的で、最も気高い選択なのだ。
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