2025年11月14日金曜日

純債務残高論の意義と限界 Googleの生成AIが詳細なレポートを作成してくれました。

 


日本の公的債務評価における純債務残高論の経済学的整合性分析



I. 序論:日本の財政議論における焦点の変遷と純債務残高論の台頭


日本の公的債務残高は、対国内総生産(GDP)比で国際的に突出した水準にあり、長年にわたり財政健全化に関する議論の硬直化を招いてきた。特に、一般政府総債務残高がGDP比で250%を超える水準にあるという事実は、持続可能性に対する根強い懸念を生じさせている。このような背景のもと、近年、政治的な議論において、総債務残高ではなく「純債務残高」を財政状況の主要指標として捉えるべきだという見解が台頭している。これは、政府の負債のみに着目するのではなく、政府が保有する金融資産を考慮に入れることで、財政の健全性をより現実的に評価しようとする試みである。

純債務残高論は、一見すると、政府の財務状況を企業会計的なバランスシートの観点から包括的に捉えようとする合理的な主張に見える。しかし、公共財政と企業財務の間には、資産の流動性、負債の性質、そしてマクロ経済全体における政府の役割という点で根本的な違いが存在する。本報告書は、この純債務残高論の提示がマクロ経済学的に見ていかなる意義を持つのか、また、その指標が内包する技術的な限界は何であるかを厳密に検証することを目的とする。

本報告書の分析アプローチは、国民経済計算(System of National Accounts: SNA)に基づき、財政のストック(純債務)とフロー(部門別バランス、債務動学)の双方を統合的に扱う。定義の厳密性の検証から始まり、純債務残高の国際的な位置づけを客観的なデータに基づいて確認する。さらに、ストック指標の限界と、財政の持続可能性を決定づけるフロー分析の優位性を検証することで、純債務論が持つ専門的有用性と、それに伴う政策的なリスクを批判的に評価する。純債務残高論は、企業会計のロジックを公共財政に単純に適用しようとする試みであり、企業会計で重視される純資産(資産から負債を引いた額)が重要であるという考え方に基づいている。しかし、政府の資産は、企業のように自由に処分して一般債務の返済に充てることができないという特性(非流動性や目的拘束性)を持つため、総債務を相殺する能力には本質的な限界がある。この点を踏まえ、純債務残高は財政健全化の万能薬ではないという前提のもとで分析を進める。


II. 概念の厳密な定義:「政府」の範囲と「純債務残高」の構成要素



1. 「政府」の定義の厳格化:一般政府(General Government)の範囲


財政指標を国際比較する際、最も重要な前提となるのは「政府」の定義の統一性である。国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)が公的債務の計測に用いる「政府」とは、通常、「一般政府」(General Government)を指す 1。この一般政府は、中央政府、地方政府、および社会保障基金(年金積立金など)の三部門を合算した範囲で定義される。

政治的な議論の場においては、この「政府」の範囲が意図的に拡大解釈され、中央銀行(日本銀行)までを含めるかのように誤解されるリスクが常に存在する。日本銀行が保有する国債が巨額であるため、これを政府部門の資産と見なせば、一般政府の債務は大幅に相殺されるかのように見える。しかし、日本銀行はSNA上、金融法人部門に分類され、一般政府とは明確に区別される独立した主体である。一般政府債務を議論する際には、国際基準に則り、一般政府の範囲内での金融資産・負債の勘定を行うことが、議論の厳密性を保つ上で不可欠である。


2. 総債務残高と純債務残高の算定


公的債務の評価には、総債務残高(Gross Debt)と純債務残高(Net Debt)の二つの主要なストック指標が用いられる。

総債務残高は、一般政府が負っている全ての負債の合計であり、主に国債や借入金がこれに該当する。一方、純債務残高は、この総債務残高から、一般政府が保有する金融資産を差し引いたものである 1。一般政府の金融資産には、主に社会保障基金が保有する年金積立金や、政府が保有する外貨準備などが含まれる。

日本において純債務残高が特に注目される背景には、巨額の社会保障基金、すなわち年金積立金が存在し、これが一般政府の資産として計上され、総債務を大きく相殺しているという特殊性がある。純債務の計算は、政府が実際にネットでどれだけの負債ポジションを抱えているかを把握する上で一定の役割を果たす。


3. 純債務残高(対GDP比)の国際比較と日本の絶対的地位の確認


純債務残高(対GDP比)を指標として採用しても、日本の財政状況は、主要先進国の中で極めて厳しい水準にあることが客観的なデータによって示されている。

2024年のOECD政府純債務残高(対GDP比)ランキングに基づくと、日本はOECD諸国の中で依然として1位である 1。純債務残高論は、総債務残高(GDP比250%超)という巨大な数字に対する危機感を、純債務残高(133.88%)という相対的に低い数字へ転換させることで、財政状況が大きく改善したかのような印象を与える意図が込められている可能性がある。しかし、国際比較データは、このレトリックの有効性を否定する。

OECD主要国の一般政府純債務残高(対GDP比)

順位 (OECD内)

国名

純債務残高(対GDP比, %)

出典年(予測)

1位

日本

133.88

2024年

2位

イタリア

125.13

2024年

3位

フランス

104.85

2024年

4位

アメリカ

97.40

2024年

5位

イギリス

93.68

2024年

(出典: IMF/OECD データに基づく 1

データが明確に示している通り、日本の純債務残高(対GDP比 133.88%)は、2位のイタリア(125.13%)や4位のアメリカ(97.40%)を大きく引き離し 1、世界で最も脆弱な財政構造を持つ国の一つであることを裏付けている。したがって、純債務残高を採用したとしても、日本の財政の厳しさを否定する根拠にはならない。純債務残高の議論は、総債務残高で議論するよりも会計的には洗練されているものの、日本の財政の構造的な問題は解消されないのである。

さらに重要な点として、純債務残高の計算において差し引かれる政府資産の「質」が挙げられる。政府資産の多く、特に巨額の年金積立金は、将来世代への給付という「偶発的負債」(Contingent Liability)に対応する形で積み立てられたものである。これらの資産は、一般政府のバランスシート上では金融資産として計上されるが、一般債務の返済のために自由に「処分」したり、現金化して一般財源に充てたりすることは、年金給付体系そのものの破綻を意味する。したがって、純債務残高の計算においてこれらの資産が相殺効果を持つとしても、財政政策的な観点から見た「返済余力」としては過大評価であると言わざるを得ない。


III. ストック指標としての純債務残高の経済的意義と技術的な限界



1. 純債務が提供する情報:ソルベンシーの静態的評価


純債務残高は、特定の時点における政府の正味の負債ポジションを反映する指標であり、政府のバランスシートの健全性、すなわちソルベンシー(支払能力)の静的なスナップショットを提供する。国際的な財政健全化の議論において、純債務残高が総債務残高と並んで重視される主要指標の一つであることは確かである 。特に、政府部門が保有する金融資産の評価は、将来の公的債務の利払いに充てる原資となり得るため、財政の長期的な安定性を評価する上で一定の参考情報を提供する 。


2. 純債務論が抱える本質的な技術的限界:非金融資産の除外


しかし、IMFやOECDが用いる純債務残高の定義には、本質的な技術的限界が存在する。この定義においては、政府総債務から差し引かれるのは一般政府が保有する「金融資産」のみであり、非金融資産(国有地、公共インフラ、建物、道路など)は算入されない 1

この定義的な制約は、政府のバランスシート全体像を歪めるという批判を招く。政府が保有する非金融資産は巨額であり、これらを含めて純資産を算定すれば(SNAの拡張的な定義)、日本の政府部門の純資産はプラスに転じる可能性が高い。純債務論者は、金融資産の計上を主張することで、総債務を相殺する効果を強調する一方で、都合よく非金融資産の計上を除外しているという技術的な矛盾を抱えている。

もし、政府のバランスシートの「完全性」を追求し、金融資産の計上を主張するならば、同様に巨額である非金融資産の計上も論理的に不可欠となる。しかし、非金融資産を含めた広義の「純資産」ベースで議論をすると、その資産は市場で現金化して債務返済に充てるのが困難であるという「流動性」の問題が完全に無視されてしまう。結局、ストック議論は、定義域をどう設定しても、短期的な「資金繰り」(フロー)の問題から逃れられないという根源的な限界に直面する。


3. 将来の負債(Contingent Liabilities)の未反映


純債務残高のもう一つの大きな限界は、未積立の将来年金債務や医療・介護債務といった「明示的でない」(非明示的な)将来の政府負担を反映しない点にある 。これらの将来債務は、人口構造の変化に伴って確実に顕在化する可能性が高いが、現行の政府債務統計(総債務、純債務)には含まれない。

人口高齢化が急速に進行する日本では、この未反映の将来債務が巨額に上ることは明らかである。純債務残高が比較的小さい国であっても、高齢化に伴う社会保障費の爆発的な増加が見込まれる場合、その財政は持続可能ではないと評価されるべきである。ストック指標である純債務残高は、こうした将来のフロー負担を反映しないため、財政の持続可能性を評価する上での核心的な情報を見落とすことになる。


IV. マクロ経済学的資金フロー分析:部門別貯蓄・投資バランスの恒等式



1. マクロ経済学の基本原則:セクター別バランスの恒等式


財政の健全性を議論する上で、政府部門のみで話を完結させることは、マクロ経済学的な整合性を欠く。国民経済計算(SNA)の根幹をなす部門別貯蓄・投資バランスの恒等式は、経済全体の資金の流れを示す基本原則である。この恒等式によれば、一国の貯蓄と投資の差は、民間部門、政府部門、および海外部門の各貯蓄・投資バランスの合計がゼロになることを要求する。

すなわち、以下の恒等式が成立する。

(民間部門の貯蓄 - 投資) + (政府部門の貯蓄 - 投資) + (海外部門の貯蓄 - 投資) = 0

この式が示すのは、政府部門の財政赤字(貯蓄<投資、すなわち借金)は、必然的に、民間部門の黒字(貯蓄超過)または海外部門の黒字(経常収支赤字、海外からの借入)によって資金調達されているという必然性である。


2. 日本の構造的特徴:民間部門の黒字が政府部門の赤字をファイナンスする構図


ユーザーのクエリが指摘する通り、日本経済の構造的な特徴は、長期間にわたり民間部門が貯蓄超過(黒字)の状態を維持していることにある。つまり、民間部門において、企業の内部留保や家計の貯蓄が、国内の設備投資や住宅投資といった投資機会を上回っている。この民間部門の余剰資金こそが、政府部門の巨額の赤字(借金)をファイナンスし、国債の安定的な消化を可能にしてきた主因である。

政府部門の赤字を無理に削減しようとする行為、すなわち財政健全化目標の追求は、このマクロ経済学的恒等式に基づき、他の部門のバランス調整を強制することになる。


3. フロー分析の不可欠性:なぜストック「だけ」では不十分なのか


政府部門で議論を完結させ、「純債務残高を減らせばよい」というストック「だけ」の議論は、マクロ経済学的恒等式を無視する。日本のように構造的な民間貯蓄超過(有効需要不足)が存在する経済において、政府赤字(需要創出の源泉)を急激に削減しようとすれば、それは民間部門の貯蓄超過を強制的に削減するか、あるいは海外部門からの借金を招く(経常収支の赤字化)かのどちらかである。

政府赤字の急減は、特に需要が不足している環境下では、民間部門の需要を落ち込ませ、結果として経済全体をデフレ・低成長の深化へと導くリスクが高い。フロー分析を無視して純債務残高というストック指標のみで財政健全性を議論することは、経済全体の安定を犠牲にして、一見「健全化」した数字を達成しようとする自己矛盾に陥る危険性を伴う。

また、債務の真の持続可能性は、現在のストック水準ではなく、将来の資金繰り能力(フロー)によって決定される。民間部門の貯蓄供給能力が低下したり、後述する金利(フローコスト)が急上昇したりすれば、現在の純債務水準がいかに見かけ上「低い」としても、財政は瞬時に不安定化する。


V. ストックとフローの統合的評価:債務持続可能性分析の優位性



1. 債務動学方程式(Debt Dynamics Equation)による検証


財政の持続可能性(Debt Sustainability)を専門的に評価する際、マクロ経済学者はストックとフローを統合した「債務動学方程式」を用いる。この方程式は、政府債務の対GDP比(B/Y)の変化が、主にプライマリーバランス比率(D/Y)と、実質金利(r)と実質経済成長率(g)の差(r-g)によって決定されることを示す。

債務残高比率の変化(Δ B/Y)は、以下の近似式で表される。

債務残高比率の変化 ≒ プライマリーバランス/GDP + (実質金利 - 実質成長率) × 債務残高比率

ここで、B/Y は債務残高比率(ストック)、D/Y はプライマリーバランス(フロー、赤字はプラス)、r は実質金利(フローコスト)、g は実質成長率(フロー収入)である。

この方程式において、現在の債務残高 B/Y は、債務比率の増減を決定づける「加速度項」としての役割を果たすに過ぎない。債務の持続可能性を決定づけるのは、フロー変数であるプライマリーバランスの改善(D/Y の低下)と、金利・成長率の差の管理((r-g) の低下)である。純債務残高の議論は、このフロー変数群の重要性を過小評価する傾向がある。


2. 「資金繰り」の重要性:ストックと流動性の決定的な分離


企業財務の類推は、ストックと流動性の分離の重要性を示す 2。企業経営において、たとえ純資産(ストック)がプラスであったとしても、売上が急増する局面などで運転資金の増加に現金回収が追いつかなければ、利益は出ているのに資金繰りが苦しくなる「成長に伴う資金ショート」のリスクが存在する 2。これは、ストックが健全であっても、フロー(資金繰り)が破綻すれば企業は倒産し得ることを示している。

政府財政においても、この「資金繰り」の概念は決定的に重要である。純債務残高が相対的に低い水準にあると仮定しても、実質金利 r の急上昇やGDP成長率 g の停滞により、債務の利払い(フロー)が税収(フロー)を上回り続ければ、財政の資金繰りは急速に悪化し、市場からの信頼(資金調達能力)を失う。外部要因、特に金利変動といったコントロール困難な変化は、企業の資金繰り危機を招くが 2、これは政府の利払い費急増リスクにそのまま当てはまる。

純債務残高が採用されても、日本のストック水準(GDP比133.88%)は依然として国際的に高水準である 1。この高いストックが、将来的な金利 r のわずかな上昇によって、爆発的なフロー負担増(利払い費の増加)につながるリスクを内包している。ストック「だけ」を見て財政の健全性を議論することは、この債務動学と資金繰りの核心を無視する経済学的な誤謬である。


3. 純債務論の限界:金利リスクと将来のフロー負担の過小評価


純債務残高を強調する議論は、現在の低金利環境を所与のものとし、将来の金利上昇リスク(フローコストの増大)に対して著しく無関心であるという危険性を帯びる。日本が長期停滞期にあり、実質経済成長率 g の劇的な改善が見込めない中、金融政策の正常化に伴う実質金利 r の上昇は不可避の将来リスクである。

純債務論の採用は、総債務に対する危機意識を薄れさせ、「低金利が続く間は財政規律を緩和しても大丈夫」という危険な政策認識を助長する可能性がある 。この金利リスクへの警戒心の低下は、マクロ経済政策上、極めて危険なシグナルとなる。

さらに、企業の資金調達能力の維持には、金融機関との良好な関係構築が不可欠であると指摘される 2。政府の場合、資金調達先は主に市場(国債発行)と中央銀行である。政府が純債務の低さを根拠にフロー(赤字)を拡大し続ければ、市場は政府の返済意思や能力(将来の税収)を疑い始め、国債にリスクプレミアムを要求する。政府の信用不安が発生すると、利回りの急上昇を通じて実質金利 r が上昇し、前述の債務動学方程式に基づき、財政状況は急速に悪化する。


VI. 純債務残高の政治利用と政策的含意の評価



1. 純債務残高を強調する見解の具体的な政策的意図の分析


純債務残高を財政健全化の主たる指標として強調する見解には、特定の政策的意図が含まれていると分析される 。

第一の意図は、現状の財政健全化目標、特にプライマリーバランス(PB)の黒字化目標の必要性を薄めるためのレトリックとして利用することである 。純債務残高の数字が総債務残高よりも相対的に良好に見えることで、「日本の財政は言われているほど悪くない」という誤解を広め、財政規律の議論そのものを後退させることが可能となる 。

第二の意図は、「隠れた資産」の存在を強調することで、増税や歳出削減といった痛みを伴う政策決定を回避するための理由付けを行うことである。財政規律を重視する立場からすれば、必要なのは歳出構造改革と安定的な税収基盤の確立(フローの改善)であるが、純債務論は資産の側を強調することで、この努力を棚上げする口実を提供する。


2. 真に「政府のバランスシート」を改善するための提言


純債務論が持つ唯一の建設的な側面は、政府が保有する資産の有効活用や、バランスシート全体の管理意識の向上を促す点にある。これは、政府の資産マネジメントの改善を求めるものであり、企業会計的な視点の導入が一定の規律をもたらす可能性を示唆している。

しかし、真に政府のバランスシートを改善するためには、純債務残高論から一歩進め、非金融資産(国有財産やインフラ)のマネジメントの最適化、そして将来債務(年金・医療債務)の透明性を高める包括的なSNAアプローチを採用することが不可欠である。

純債務論は、財政規律の議論を「債務削減」から「資産運用」へとすり替える効果を持つが、政府の本質的な機能(非営利、公共サービスの維持)を考慮すると、このすり替えは無責任となる。企業であれば、資産を売却して借金を返済できるが、政府が重要な公共資産を短期的な債務返済に充てることは、将来の公共サービスや経済成長の機会を損なうという長期的なトレードオフを生じさせる。


3. 財政健全化の優先課題:ストックとフローの双方への対応


財政健全化の優先課題は、ストック(債務残高)とフロー(財政収支)の双方に同時に対応することにある。

フローの回復としては、恒久的な経済成長率 g の引き上げが不可欠である。GDPの分母を拡大させることこそが、最も痛みを伴わずに債務比率を低減させる道である。ストックの管理としては、プライマリーバランスの目標設定(D/Yの管理)の重要性を再認識する必要がある 。プライマリーバランスの黒字化は、債務動学方程式において、金利水準にかかわらず債務比率を収束させるための絶対条件である 。

純債務残高に焦点を当てることは、このフロー変数群に対する政策的努力の重要性を軽視させ、長期的な財政安定を損なう政策的な近視眼性をもたらす危険性がある。


VII. 結論:純債務残高重視の視点の専門的評価と今後の財政議論への提言


高市氏(またはその提唱者)が提示した、国の債務を純債務残高で捉えるべきという視点は、一般政府のバランスシートの資産側を考慮に入れるという点で、総債務残高のみで議論するよりも会計的には洗練されたアプローチであると評価される。純債務残高は、政府の財務健全性を評価する上で確かに重要な指標であり、静的なソルベンシーの評価に役立つ 。

しかし、分析の結果、この純債務残高論は以下の三点において、マクロ経済学的な財政持続可能性の議論として決定的な限界を持つことが明らかとなった。

第一に、日本の純債務残高は依然として国際的に極めて高い水準にある 1。純債務ベースであっても、対GDP比133.88%はOECD諸国の中で断トツの1位であり 1、総債務の数字から受ける印象は和らげられても、財政の厳しさを根本的に否定するものではない。

第二に、政府資産の質(流動性、目的拘束性)が低い。特に純債務計算で相殺効果を持つ年金積立金などの金融資産は、将来世代への支払い義務に対応しており、一般債務の返済に自由に充当できる性格のものではない。

第三に、ストック指標単体での議論は、債務持続可能性の核心を無視する。財政の安定性は、プライマリーバランス、実質金利、実質経済成長率といったフロー変数によって決定される。フローを無視してストック(純債務)「だけ」に焦点を当てることは、将来的な金利上昇リスク(フローコスト)や、マクロ経済学的整合性(民間部門の貯蓄超過)を無視し、財政の資金繰りの問題を看過する政策的な危険性を内包する。

今後の日本の財政議論は、マクロ経済学的整合性(部門別バランス)を無視した議論を排し、ストック(総債務と純債務)とフロー(プライマリーバランス、金利、成長率)の統合的枠組みに基づいて財政の持続可能性を評価すべきである。純債務残高は、政府の「財務」を測定する有効なツールの一つではあるが、政府の「財政」の持続可能性を決定づけるマクロ経済学的フロー変数群の重要性を代替するものではない。

引用文献

  1. OECDの政府純債務残高(対GDP比)ランキング - 世界経済のネタ帳, 11月 14, 2025にアクセス、 https://ecodb.net/ranking/group/XK/imf_ggxwdn_ngdp.html

  2. 資金繰りとは?悪化の原因・改善策~経営者が押さえるべき知識~ | アスケイコラム, 11月 14, 2025にアクセス、 https://tax-front.jp/column/column-3444/

0 件のコメント:

コメントを投稿

俺は疲れている。

 俺の人生、言うほど楽じゃないのよ。 たしかに今は、幸運が重なって、色々と楽しいこともあるけど、でも、正直疲れている。 それは、みんなそうかも知れない。 でも、精神錯乱なんて普通あるもんじゃないし、そっからここまで這い上がってくるって、言うほど楽じゃないよ? 確かに働いてはいない...