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メディアの「正義」と暴走 病気腎移植を例に

 承知いたしました。宇和島徳洲会病院の万波誠医師による病気腎移植(修復腎移植)を巡る報道を事例として、「メディアの『正義』の暴走」を論点とするレポートを作成します。 📰 メディアの「正義」の暴走:宇和島徳洲会病院・万波誠医師と病気腎移植を巡る報道に関する一考察 1. はじめに:報道の背景と「正義」の衝突 万波誠医師が主導した 病気腎移植 は、廃棄される腎臓を修復し、臓器不足に苦しむ患者に提供するという、革新性と倫理的リスクを内包した医療行為でした。この問題は、 「目の前の患者を救いたい」 という臨床医の 実利的な正義 と、 「医療倫理と学会の秩序を守る」 という専門家・行政の 体制的な正義 が激しく衝突した事例です。 この衝突において、多くのマスメディア、特に広範な影響力を持つ全国放送の報道番組は、「 医療の闇を暴く 」という自らの**「社会正義」**の旗を掲げ、報道の嵐を巻き起こしました。しかし、結果的にこの報道姿勢は「正義の暴走」として、後の強い批判に晒されることとなります。 2. 「正義の暴走」としての報道姿勢 2.1. 疑惑の「魔女狩り」と個人攻撃 メディアは、万波医師の治療法が抱える手続き上の不備や移植学会からの批判を論拠に、同医師を**「移植マニア」**と断定し、疑惑の対象として集中的に報道しました。臓器売買事件(万波医師は関与せず)と関連付けるなどして、 個人を悪役化 し、スキャンダラスに仕立て上げる報道手法が目立ちました。これは、「社会の悪を討つ」という名目のもと、 客観的な検証や多角的な視点を欠いた「魔女狩り」的な報道 に陥ったと言えます。 2.2. 二項対立の単純化と論点の矮小化 病気腎移植を巡る本質的な議論は、**「日本の移植医療における臓器不足の問題」 と 「未承認の革新的な治療法のリスクとベネフィット」 という極めて複雑なものでした。しかし、メディア報道はこれを 「倫理違反の怪しい医師 vs. 善良な社会」**という単純な二項対立に矮小化しました。 この結果、移植を必要とする レシピエント(移植患者)の切実な声 や、 治療法の後の先進医療への承認 につながる可能性のある 医学的な合理性 が、報道の主軸から外され、公の議論の場で十分に検討されませんでした。 2.3. 「結論ありき」の世論誘導 メディアの「正義」は、しばしば「世論」と...

キャン ユー セレブレィ?

遠かった 怖かった でも ときに素晴らしい夜もあった 笑顔もあった どうしようもない 風に吹かれて 生きてるいま これでもまだ それでもまだ 悪くはないよね パクリ  

血液検査の結果

  eGFR

なぜ選挙はひとり一票がマシなのか。

宋朝を参考に  

メタリカ

blackened  

ウンザリだ (再掲)

  なんで慶応SFCなんていうクッソな大学はいっちまったかなー あんなんゴミの掃き溜めやで。 今だに尾を引いてるからね。 もう勘弁して欲しいわ。 受けたくねーって言ってんのに、受験票破って棄ててんのに、 それでも「オトウサンが慶応SFC気に入ってる( から受けてくれないと困る)」とかいう意味不明な理屈で、 受験日当日に再発行してまで受けさせられて、 受かっちまったから、慶応信者の父親に逆らえるはずもなく、 問答無用で入らざるを得なかった。 親にしたって、俺のことなんて、 ほんとは微塵も考えてねえんだよ。 タロー坂という、バス停からキャンパスに連なる上り坂で、 三田の慶応で合格を確認してから、SFC行って、 坂を登りなから、「ここは嫌だ」って言ってんのに、 母親にシカトされたからね。 正確には、母親は、うつむきながら、 両目の視線を左右にキョロキョロさせていた。 まるで、「そんなことを言ったら、 また私がオトウサンに怒られちゃう。」と言わんばかりに。 ま、完全に愚痴だし、 ここまで来たから言えるってこともありますけどね。 ほんと地獄だったよ。

小林家は、父親を中心に回っていた。

 基本的にテレビは胸糞悪くなるだけだから、見ない。 テレビを見るのが日課の母親が言うには、高市首相がトランプ大統領を「おもてなし」しまくっているのが、ちょっと不満らしい。 まあ、高市さんって、もともとそういう人だよね。 安倍のカーボンコピー。 なんか、安倍を思い出すと、昔を思い出して、胸糞悪くなる。 父親のことだ。 父親は、冷静に考えれば、かなりマシなほうだったと思う。 ただ、父親が生きていた頃のことを思い出すと、マジで胸糞悪くなる。 ふつうは、家族のために仕事をする、というが、小林家は逆で、父親が仕事をするために、家族がサポートする。 そういう一家だった。 ああ、胸糞悪い。 もろ団塊の世代で、バブルの真っ盛りに銀座で豪遊して、でも根っから堅実な人間だったから、投資話に手を出して痛い目に遭う、ということはなく、しかしながら、糖尿病に罹って、タバコも吸っていたから、そのツケは最後にキッチリ落とし前をつける形になった。 全身の血管がダメになって、あっちこっちの病院に、しょっちゅう入院だの手術だのしていた。 そのたびに、オレと母親が、ありとあらゆるサポートをした。 そのくせ、始終イライラして、そのうえ、身体はボロボロなのに、母親の目を盗んで2号さんと逢っていたのだ。 最悪だ。 病院通いで、ムダに姉を呼び寄せれば、ほぼ間違いなく、姉は「なんでワタシだけ家族の犠牲にされなきゃいけないの?!」と泣き叫んで、去っていった。 ほぼ毎回。 なぜ呼ぶのか不思議で仕方なかった。 ムダにカネと権力があると、こういうことになる。 ほんとうに胸糞悪い。 母親から腎臓をもらいながら、10年でダメにし、最終的にはオレから腎臓をもらうつもりでいたらしい。 しかし、もう腎臓をもらったところで取り返しがつかないくらい身体は全身ボロボロになっていたらしく、最後は肺水腫、つまり肺炎で亡くなった。 よほど苦しかっただろう。 臨終の際、面会したが、ちょっと公には言葉では描写してはいけないような有り様になっていた。 人間がガチで酸欠になると、こうなるのか、という。 結局、最後の最後に、落とし前をつけさせられたのだ。 人間はどう頑張っても最後は死ぬ、ということから目を逸らし続け、現世ご利益に妄執した人間の末路は、こんなもんか、と、いい教訓を得た。

抵抗権

 もしかしたら、山上被告には、シングルホミサイドとしては通常課されない重罪、つまり死刑を課される可能性もあるのかも知れない。 それは、「民主主義に対する重大な挑戦」という名目かも知れないが、しかし、ここで、ジョン・ロックの「抵抗権」をどう解釈するか?という疑念が湧く。 非常に興味深い問題であるが、いまの自分には答える力量はない。

酷い。あまりにも酷い。山上被告初公判

  こんなんじゃ、絶対に日本から冤罪事件はなくならない。

若い人に贈ることば

  オレはそんな人間じゃない

やっぱなあ・・・

 色々と考えたけど、やっぱ慶応SFCって、大した事ないな、というのが正直なところ。 確かに、勉強の基礎を築く段階では、いろいろな教授陣の方々にお世話になったが、冷静に思い返すと、やっぱりあんまりいい環境ではない気がする。 とはいえ、以下に書くことは、なにも慶応SFCに限った話ではなく、日本の(当時の)大学生に共通する性質である可能性があるが。 どういうことか、というと、俺がやることなすことすべてに対して、オカシイオカシイと、いちゃもんをつけてくる。 違法行為をやってるとか、他人を傷つけてるとかならともかく、(そういうことが全くなかったとは言わないが)自分としては普通のことをやっているだけにも関わらず、なにか世間一般の通念から著しく外れた言動を取っているかのように、ひたすら邪魔される。 なにか言えば、ビッグマウス、研究会で、ちょっと「疎外」だの「物象化」だの言えば、まるで宇宙人を見つけたかのような蜂の巣を突いたかのような騒ぎになる、サッカーでさえ、今では当たり前になった、ゴールキーパーが、ディフェンス陣の裏のスペースをケアするプレーまでも、まるで何かルール違反をしているかのような態度で詰られる。 結論から言えば、こんな環境で、いったいどんな新しいことが出来るというのか? 型にハマりきった「ふつう」から一歩も出ようとせず、ひたすら悪目立ちしない態度を墨守して、首尾よく就職することしか考えない環境から、日本を変えるような人材など、生まれるはずがない。 ああ、そうか。 だから、どいつもこいつも俺に敵意を抱いていたのか、と納得。 なんでこの人たちはなんでもかんでも俺にツラく当たったり、あるいはひたすら小馬鹿にしてきたのか、と。 そのくせ、自分たちは「最先端」を走っている、と選民思想に凝り固まっている。 最悪だ。 別に自分でそんな凄いことを成し遂げたなどと言う気はさらさらないが、でも頑張ってよくやり抜いた、とは思っている。

鬱陶しい・・・

  胃もたれがとまらない

宮城県知事選挙投票日前日

  孫悟空ヤバくね?!

天網恢恢疎にして漏らさず

日本という社会は、たいていどんな人生を送ったとしても、何かしらそれなりの生き方が出来るように設計されている気がする。 放送大学からして、学びのセーフティーネットというか、そもそもどういう意図で作られたのかは知らないが、普通の大学からドロップアウトした人、あるいはお金があまりなくて、普通の大学に進学することが難しかった人、はたまた戦争の混乱で若い頃とても大学なんか行く余裕のなかった人・・・など、めちゃくちゃ色んなバックグラウンドを持った人が、本気で学び、そして頑張ればちゃんと大卒の資格を取れるような仕組みになっている。 そして、もちろんのこと、つい最近急ごしらえで作った安っぽいシロモノでは決してない。 施設も教員も、めちゃくちゃ贅沢だ。 えーと・・・放送大学をメインに論じたいわけではない。 日本という社会は、はみ出しそうになって、初めて、たいていどんな生き方をしても、それなりの生活が出来るように設計されていることに気付くのではないか、ということを書きたいのだ。 もちろん、自分は歩行者信号を無視するなんてことは日常的にやっているが、大きな犯罪を犯したことはない。 (錯乱して警察の世話になったことはあるが。) だから、刑務所に入るとかそういうレベルの踏み外し方はしたことがない。 従って、そういう人がどういうセーフティーネットに引っ掛かるのか、あるいはそもそもそういう人のためにセーフティーネットが存在するのかどうか、は知らない。 しかしながら、昔ヤンチャ系だった人(例えば暴走族だったとか)のほうが、社会への恩返しなどと言って、かえって社会に貢献している、というまことしやかな話も、あながち嘘ではないと思っている。 (もちろん、反社会的組織の一員になってしまった人もいるだろう。) しかし、人生をなげずに、マジメに努力していれば、何かしら収まるところに収まるように出来ているのが、この日本という社会なんだと思っている。 つまり、この日本という社会には、どんな生き方をしたとしても、たいてい何かしら「枠」というものがあって、ドロップアウトしかけて初めて、そういう「枠」のありがたみが身に染みる、ということが、往々にしてある、ということだ。 とはいえ、だからといって、自分の人生に自分で責任を持つ気概がなく、ただのんべんだらりとしていれば、この社会は恐ろしく退屈なものに感じられることだろう。...

どした?その2

参政党神谷さん  

どした?

うまくねえな  

「金融と社会」質疑応答を基にした、Googleの生成AIによる詳細なレポート (再掲)

日本の家計国際投資、財政、経常収支の相互関係に関する深掘り分析 I. はじめに:日本のマクロ経済構造における家計国際投資、財政、経常収支の相互関係 本レポートの目的と分析の視点 本レポートは、日本の家計による国際投資の動向が、国の財政の持続可能性および経常収支に与える影響について、マクロ経済の視点から深く掘り下げて分析することを目的としています。特に、「経常収支が黒字であっても、それが直ちに政府の財政赤字をファイナンスできるとは限らない」という問いに対し、国際収支の構造と国内の貯蓄・投資バランスの恒等式を用いて多角的に考察します。分析の視点としては、国際収支統計の基礎概念から、家計の金融資産構成、海外投資の要因、それが国債市場に与える影響、そして政府の政策的対応までを網羅し、これらの要素間の複雑な相互作用を解明します。 国際収支統計の基礎概念と恒等式 国際収支統計は、ある国が外国との間で行った財貨、サービス、証券等のあらゆる経済取引と、それに伴う決済資金の流れを体系的に把握、記録した統計であり、「一国の対外的な家計簿」とも称されます 。日本銀行が財務大臣の委任を受けて企業や個人から提出された各種データを集計し、統計を作成・公表しており、その作成基準はIMFの国際収支マニュアル(BPM)に準拠しています 。   国際収支は、主に経常収支、資本移転等収支、金融収支、そして誤差脱漏の4つの主要項目で構成され、これらの合計は常にゼロとなる恒等式が成り立ちます 。この恒等式は、「経常収支+資本移転等収支-金融収支+誤差脱漏=0」と表され、経常収支と金融収支が「裏表」の関係にあることを示唆しています 。   国際収支の恒等式が常にゼロになるという事実は、単なる会計上の整合性以上の経済的な必然性を有します。これは、一国が海外との間でモノやサービスを売買したり、資金をやり取りしたりする際に、必ず対価の資金フローが伴うという経済原則を反映しています。経常収支の黒字は、その国が海外に対してモノやサービスを純輸出し、その対価として海外からの資金流入、または対外資産の増加を意味します。この資金流入は、国内の資金需要を満たすか、あるいは海外への投資(金融収支の赤字、すなわち対外資産の増加)に振り向けられるかのいずれかとなります。したがって、経常収支の黒字...

ふと疑問に思った。

 高市首相の、国の債務を、政府(?)の資産から、政府(?)の借金を引いた、純債務残高で捉える、という見方の提示だが、いったい何の意味があるのだろうか? そもそも、ここでいう「政府」とはいったい何を意味しているのだろうか? 民間部門の黒字(貯蓄)が、政府部門の赤字、つまり借金を、 フローで見て ファイナンスしている状況で、政府部門で話を完結させ、しかも ストック「だけ」で見て 国の財政を議論することに、果たして何の意味があるのか? (以下、Googleの生成AIがマジメに答えてくれました。) 高市氏が提唱する 純債務残高 による国の債務の捉え方は、 政府のバランスシート(貸借対照表) に着目し、 「資産から負債を引いた差額」 で財政状況を評価することに意味を見出しています。これは、国の財政を 単なる借金(負債)の総額 ではなく、 将来の支払い能力も含めた純粋な財政状態 で議論すべきだという考え方に基づいています。 「純債務残高」の持つ意味 1. 財政の「実態」をより正確に把握するため 純債務残高は、政府が保有する 資産 (例:現金・預金、有価証券、貸付金、インフラ資産など)から、 負債 (例:国債、借入金など)を差し引いたものです。 通常の債務残高(グロス債務残高) は負債の総額のみを示しますが、政府が保有する 換金性の高い資産 や、 将来の歳入 に繋がる資産を考慮していません。 純債務残高を用いることで、政府が 借金の返済に充てられる資産 をどれだけ持っているかを含めて財政を評価でき、 より実態に近い 財政の健全性を議論できるとされます。 2. 資産計上の意識を高めるため 純債務残高を重視することで、政府が 保有資産の価値 や 効率的な活用 を意識するようになり、財政運営の質を高める効果が期待されます。 「政府」の定義について 財政議論における「政府」が具体的に何を指すかは文脈によりますが、高市氏の文脈や一般的な財政健全化の議論では、通常以下の範囲を指します。 一般政府(General Government) : 中央政府 (国) 地方政府 (地方公共団体) 社会保障基金 (年金、医療などの特別会計) 日本の財政の国際比較で用いられることが多い概念です。 高市氏が述べる「純債務残高」は、この 一般政府の範囲 での資産と負債の差額を指している可能性が高いです。...

「社会経済の基礎」質疑応答を基にした、Googleの生成AIによる詳細なレポート (再掲)

  日本経済の構造的課題と政策的示唆:ISバランス、国際収支、MM理論の視点から Introduction 本報告書は、日本経済が直面する主要なマクロ経済的課題に対し、貴殿から寄せられた示唆に富むご質問に基づき、包括的かつ詳細な分析を提供することを目的とする。具体的には、投資・貯蓄バランスと財政の持続可能性の複雑な関係、日本の国際収支構造の進化、そしてバブル崩壊後の企業金融行動とMM理論の関連性について深く掘り下げた議論を展開する。本報告書は、理論的枠組みと実証的証拠を統合し、多角的な視点から現状を分析し、日本の将来の経済軌道に対する重要な政策的示唆を提示する。 本報告書は、貴殿のご質問に沿って三つの主要なセクションに分かれており、それぞれが特定の問いに焦点を当てる。その後に、分析結果を統合し、政策提言を行う結論のセクションを設けている。 I. 投資・貯蓄バランスと財政健全化の多角的考察 1.1. ISバランス恒等式の再確認と日本経済の現状 マクロ経済学における基本的な恒等式の一つであるISバランス恒等式は、経済全体の貯蓄と投資の関係、そして各部門の収支バランスが常に一致するという会計上の真実を示す。簡略化された国民所得恒等式であるY = C + I + G + EX - IM(支出面からの定義)とY = C + T + S(処分面からの定義)から導かれるこの恒等式は、(S - I) = (G - T) + (EX - IM) と表される。これは、民間部門の貯蓄超過(S-I)が政府の財政赤字(G-T)と経常収支の黒字(EX-IM)の合計に事後的に等しくなることを意味する 。より詳細な恒等式では、家計貯蓄、企業貯蓄、政府歳入、政府歳出、輸出、輸入の各要素が考慮される 。   現在の日本経済は、民間部門が恒常的に貯蓄超過(S>I)の状態にあり、この民間部門の余剰貯蓄が政府の財政赤字(G-T>0)をファイナンスする構造が長らく維持されてきた。この恒等式は、経済の各部門の収支がどのように相互に連結しているかを示すものであり、特定の部門のバランスが変化すれば、他の部門のバランスも調整されて全体として均衡が保たれるという、経済の基本的な仕組みを浮き彫りにする。この関係は、単なる会計上の真実であり、特定の因果関係を直接的に示すものではない点...