これはかなり面白そう。文章も読みやすい。著者の経歴を見たら、なんとビックリ慶応SFC卒。 やっぱり優秀な人は優秀だ(った)。 わかりにくい先物取引についても、理解が(出来れば、ちょっとは)深まりそう。 快著と言って過言ではない、と期待。 うーん、これは頭が下がる。 歴史書としてふつうに面白い。 慶応SFC卒にも、こんな凄いひとがいたんだな。 まあ、江戸時代における米ってのは、現代日本以上に重要な穀物だったもんな。 その価格がどうなるか、というのは、当時の政府である江戸幕府にとっても最重要課題のひとつだったんだろう。 思えば、この2ヶ月近く、読書から遠ざかっていたが、新書一冊でも、良書は長く、しかも安定的に精神的な効用を与えてくれる、という意味で、やはり読書はコスパかなりいい。 読んでいて、ふと思ったのが、江戸時代が曲がりなりにも安定していたのは、米という生産量が限定されている穀物商品に、経済が縛られていたからではないか。 米という現物に経済規模が縛られていたからこそ、政府(江戸幕府)の統制が効く範囲内で経済がまわっていたのではないか。 しかし、明治維新以降、貨幣を本質とした資本主義経済の世界になると、経済規模というものが飛躍的に拡大したと考えられる。 「貨幣を本質とした」ということの含意は、つまるところ、国が(その信用力をもとにして)借金が出来る、ということだ。 日露戦争の戦費調達を、高橋是清が、ユダヤ人資本家のシフから調達したのは有名な話だが、その日露戦争のときにこさえた借金を日本が償還し終えたのは、なんと第二次世界大戦が終わってしばらくしてからのこと(らしい)。 つまるところ、国がその信用力をもって借金ができる、というのは、レバレッジを効かせて大きく経済成長する途を開いた反面、国が財政破綻する可能性を飛躍的に高め、そして、社会が容易に不安定化する途も開いた、と言えるだろう。 翻って、財政ポピュリズムが蔓延する現代日本はどうか。 確かに、国の借金を生み出す大きな原因のひとつは、社会保障費だが、今までは(飽くまでストックの面から見れば)社会保障の恩恵を享けている高齢者世代の貯蓄(ストック)が、日本国債を買い支えていた、換言すれば、国内のストックで日本国債を買い支えていたから、日本国債が安定消化されていたわけだが、もはやそれも限界に達しつつあり、直近では、...