2025年5月29日木曜日
欲望MAX
大機小機
2025年5月28日水曜日
おお、ビックリした。
キリスト教哲学の歴史@八戸サテライト レポート (再掲)
2025年5月27日火曜日
ドストエフスキー (再掲)
「不道徳的倫理学講義」 古田徹也 ちくま新書
2025年5月26日月曜日
へんぼけー
報われぬ死者のまなざし (再掲)
負債観念 (再掲)
神なき時代の連帯? 森鴎外「かのように」を巡って 山岡龍一先生からのご回答 (再掲)
政治学へのいざない (再掲)
機能不全国家
2025年5月25日日曜日
そらそうでしょ
都合のいいカラダ(●´ω`●)
不胎化されたレポートその10 (再掲)
さすがに疲れたな・・・
2025年5月24日土曜日
やっぱなあ・・・
「脱常識の社会学」 ランドル・コリンズ 岩波現代文庫 (再掲)
メモ
中国史についてGoogleの生成AIに回答してもらった。その2 (再掲)
中国史についてGoogleの生成AIに回答してもらった。その1 (再掲)
<キャラ>の現象学 (再掲)
Googleの生成AIがまとめてくれました。 なぜ米は安くならないのか? (再掲)
農業と政治
2025年5月23日金曜日
ほんとコレね。
2025年5月22日木曜日
高慢と偏見
ふと思った。
不胎化されたレポートその10 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その4 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その3 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その2 (再掲)
Googleの生成AIマジ便利。とりあえず疑問が解決した。 (再掲)
Googleの生成AIが上手い具合にまとめてくれた。 (再掲)
「やさしい経済学」ー金融が支配する世界ー 中央大学准教授 小倉将志郎 増補 (再掲)
今 連載中の 小倉将志郎 中央大学准教授の 「金融が支配する世界」 は 素晴らしい。 そう、そこ! と 膝を打ちたくなる。 以下、連載第4回より 「一方、家計の 経済活動以外の側面は、 主に 欧米で研究が進展しており、 日常生活にも 『金融的計算』が 組み込まれているとされます。 金融的計算という表現に 定まった 定義はありませんが、筆者は キャッシュフローを生み出す 取引可能な存在を、 量的に評価・把握し、 最適な状態に管理 しようとする姿勢と 捉えます。 その直接・間接の対象は 教育、文化、余暇など多岐にわたり、 社会の あらゆる対象が 市場価格を持つことが 前提とされるのです。」
2025年5月21日水曜日
黄色信号 (再掲)
円安が進んでますね。 イエレンさんが、投機的な動きがある、と発言していました。 つまり、投機筋が、 円売りを仕掛ている。 なぜ円売りを仕掛ているかというと、 自国通貨が売られて通貨安になれば、 常識的には、中央銀行は、利上げをして自国通貨高に誘導しようとする。 日本に当てはめると、 日銀がイールドカーブコントロールという、馬鹿げた政策によって、 中央銀行は本来、短期金利しかコントロールできないとされているのに、 長期国債を無制限に買い入れて、 無理やり長期金利を抑え込んでいる。 つまり、日本国債の価格が異常に高い。 (裏を返せば、日本国債の利回りが異常に低い。) 投機筋は、円を売れば、 日銀は過度な円安を修正するために、 政策金利を上げざるを得ないと読んでいる。 それだけでなく、投機筋は、 日本国債売りも同時に仕掛けています。 そうすると、日銀は、金利上昇抑制のために、日本国債買い入れを余儀なくされる。 そうすると、市場に円が供給されるので、 結果、円安がますます進行する、という悪循環に陥っています。 まあ、はっきり言って自業自得としか言いようがないですが、 政府・日銀は、 日本国債を買い入れつつ、外貨準備を使って円買い介入をする、という 矛盾したことやろうとしています。 なぜ矛盾しているかというと、 国際金融のトリレンマに従えば、 「資本移動の自由」 「為替の安定」 「金融政策の独立性」 の3つは、同時にすべてを達成することは出来ないからです。 資本移動の自由は犠牲にすることは出来ません。 従って、 為替の安定と金融政策の独立性のどちらかを犠牲にせざるを得ないわけですが、 金融政策の独立性を保持するとすれば、 外貨準備を使って為替介入しなければ、 自国通貨は安定しないのです。 日銀・政府は、 大規模金融緩和を継続する一方で、為替介入をする、という”矛盾した”政策を行っているわけです。 投機筋もこれは完全に計算のうえでやっていますが、 問題は、結局のところ 日銀がどこまで無謀な大規模金融緩和を続けるか、ということです。 大規模金融緩和を続ける限り、 日銀のバランスシートに日本国債がたまり続けるだけで、 金利は上がりませんから、 今までは一般人も痛みを感じなかったので、 非難の声が上がりませんでしたが、 円安が急速に進んで、消費者物価まで上昇し始めると、 消費者からも、なにやってんだ、という声があがり始めます。 アベノミクスの3本の矢のうち、 結局、大規模金融緩和だけが継続していますが、 安倍氏の死去に伴い、 日銀に対して、大規模金融緩和を継続させる 政治的プレッシャーが弱くなったことは事実でしょう。 日本の財政から言っても、 れいわ新選組が言ってるように、 国債をどんどん発行して、 日銀に買い取らせればいい、などという、 無責任なことをやっていると、 日銀の財務状況が悪化して、円の信用が毀損されたり、 そうでなくとも、日銀が、政府の借金である国債をいくらでも買い取ってくれるから、 いくら赤字国債を発行してもいい、という モラルハザードが現実に起こっています。 岸田首相はそこらへんの事情は当然わかっているはずです。 いずれにせよ、 日銀はこれ以上、 異常な大規模金融緩和を続けることによって、 イールドカーブコントロールという 国際金融の現状からすれば異常な金融政策を維持することは、 非現実的と認識していると思われますので、 少なくとも 金利の上昇幅の拡大をこっそり容認する、 ということは、 十分予想されるところです。 しかし、加藤出さんも言っているように、 イールドカーブコントロールから抜け出すことは、 大きな混乱を伴うと予想されるので、 それこそ 投機筋の外圧がなければ いつまでも続けていたところでしょうが、 幸か不幸か、現実的ではありませんでした。 さて、焦点は、 日銀がどこまで金利の上昇幅を容認するか、 そしてそのタイミングはいつか、 ということになりそうですが、 金利の上昇幅は実務家ではないので知りませんが、 タイミングとしては、そう遠くないのではないかと思われます。 これだけ急激な円安を鑑みると、 黒田総裁の任期満了まで 待てるとは思えません。 従って、 急に金利が上がる、ということは、 十分ありえる話です。 ・・・で、何が言いたいか、というと、 金利が上がって困るのは、 超低金利を前提として 変動金利で住宅ローンを組んでいる家計です。 銀行も馬鹿ではないので、 固定金利は既に段階的に引き上げています。 それは、変動金利が上昇すれば、 固定金利に借り換える人が増えると予想しているからと言って過言ではないでしょう。 ですので、 変動金利で住宅ローンを組んでいる人は、 専門家に相談するなりして、 対策を立てたほうが良いでしょう。 自分は専門家でもなんでもないので、 この文章の内容に責任は負えません。
知ってるようで、実は知らない江戸時代。 ー大坂堂島米市場ー
これはかなり面白そう。文章も読みやすい。著者の経歴を見たら、なんとビックリ慶応SFC卒。
やっぱり優秀な人は優秀だ(った)。
わかりにくい先物取引についても、理解が(出来れば、ちょっとは)深まりそう。
快著と言って過言ではない、と期待。
うーん、これは頭が下がる。
歴史書としてふつうに面白い。
慶応SFC卒にも、こんな凄いひとがいたんだな。
まあ、江戸時代における米ってのは、現代日本以上に重要な穀物だったもんな。
その価格がどうなるか、というのは、当時の政府である江戸幕府にとっても最重要課題のひとつだったんだろう。
思えば、この2ヶ月近く、読書から遠ざかっていたが、新書一冊でも、良書は長く、しかも安定的に精神的な効用を与えてくれる、という意味で、やはり読書はコスパかなりいい。
読んでいて、ふと思ったのが、江戸時代が曲がりなりにも安定していたのは、米という生産量が限定されている穀物商品に、経済が縛られていたからではないか。
米という現物に経済規模が縛られていたからこそ、政府(江戸幕府)の統制が効く範囲内で経済がまわっていたのではないか。
しかし、明治維新以降、貨幣を本質とした資本主義経済の世界になると、経済規模というものが飛躍的に拡大したと考えられる。
「貨幣を本質とした」ということの含意は、つまるところ、国が(その信用力をもとにして)借金が出来る、ということだ。
日露戦争の戦費調達を、高橋是清が、ユダヤ人資本家のシフから調達したのは有名な話だが、その日露戦争のときにこさえた借金を日本が償還し終えたのは、なんと第二次世界大戦が終わってしばらくしてからのこと(らしい)。
つまるところ、国がその信用力をもって借金ができる、というのは、レバレッジを効かせて大きく経済成長する途を開いた反面、国が財政破綻する可能性を飛躍的に高め、そして、社会が容易に不安定化する途も開いた、と言えるだろう。
翻って、財政ポピュリズムが蔓延する現代日本はどうか。
確かに、国の借金を生み出す大きな原因のひとつは、社会保障費だが、今までは(飽くまでストックの面から見れば)社会保障の恩恵を享けている高齢者世代の貯蓄(ストック)が、日本国債を買い支えていた、換言すれば、国内のストックで日本国債を買い支えていたから、日本国債が安定消化されていたわけだが、もはやそれも限界に達しつつあり、直近では、超長期の日本国債は、海外資本の買いに頼らざるを得ない現実がある。
海外資本は、日本国内の投資家(生保など)と違って、容赦なくリスクプレミアムを要求してくるし、その気になったら情け容赦無く日本国債を売り浴びせてくる。
この現状で、社会保障費の財源と政府が繰り返し主張している消費税を、減税だの廃止だのしたら、日本国債の信用がガタ落ちするのは当然のことだ。
・・・これ、ぶっちゃけ商法の勉強にもなるな。 商法勉強したことないけど。 ・・・いやはや、これは面白い本だ。 (穀物の)「先物取引」とは いったい何ぞや? が、だんだん見えてくる。 経済学とは かくも面白い。 ・・・すげーな。これマジで勉強になるわ。 これでジャスト1,000円てのは 破格の値段だぞ。 (ただし、税抜き) おなじ慶応SFCで、どうして この著者はここまで立派になったのに、 と 我が身をうらむ気にすらなるが、 それはもう 今さらそんなこと言っても しょうがない。 ・・・昨日(水曜日)から読み始めて、 だいたい半分くらい読んだ。 2日間で だいぶ得るものがあった。 自分のオツムで 先物取引が理解できるのか不安だったが、 たぶん そこそこ理解できた。 非常に懇切丁寧に解説してくれている、と思う。 それにしても、 先物取引について 何もわかっていないのに、 経済について 偉そうなことを語っていた 自分の 厚顔無恥がおそろしい。 とりあえず今日は こんなところで 佳とするか。 ・・・とかなんとか 言いながら、頑張って キリのいいところまでは 読みました。 こんな自分でも、 先物取引とは何ぞや? が おおまかに理解できました。 江戸時代のことを知りたいと 思って 新書を買ってみたら、 思いがけず 一生わからないと思って 諦めて 忘れていた 「先物取引」の話を読むことになるとは。 びっくり。 ものすごい収穫でした。都合のいい俗説 (再掲)
国債発行 イコール 通貨発行 という俗説が あるらしいが、 金融政策の 基本が 何も わかってないね。 国債を 発行して、 買ってくれる人が いるから、 (国債を買うのは 当然のことながら 中央銀行だけではない。) そのお金が 市中に 流れるんだけど。 これ、 (国債に限らず 債券全般に対する、 中央銀行による) 買いオペとか 売りオペとか 言われる 金融政策の 常識中の常識 だけど、 そんなことも 知らずに、 ただ 国債発行すれば 自動的に 貨幣供給量が 増えると 本気で 思ってる 人が いるみたいね。 (それに、 国債だって商品だから、 本来は政府の都合で 発行した 国債を、 相場を無視した 高値で 売れると思うのが そもそも 間違ってる。 むしろ、 日本の現状として、 日銀が 市場の相場を 無視した 高値で 国債を 買い続けてることが 本質的に問題なんだけどな。) なにで 経済学 学んだんだろう? それに、 貨幣供給量を 増やす イコール 国の資産が 増える ってのも そもそも 間違い。 国の富の 源泉は 付加価値、 すなわち GDPです。 これ、 学部レベルの 経済学で 最初に 学ぶことなんだけどな。 ほんと、 誰に 刷り込まれたんだろう? ついでに 書いとくと、 赤字国債を 発行すること自体が 法律違反なんだけど、 毎年 特例法案つくって 可決して 予算作ってる。 (ちなみに、 一昔前は その種の予算を 通す通さないが 政争の具に 使われたのが、 短命政権が続いた 原因だったらしい。) それが 常態化。 それを 国民の側が 嬉々として 受け入れてる 現状が 異常。 ついでに 書いとくと、 日銀が 国債買い続けないと 国債の価格が (異常な高値を 維持できずに) 暴落して 金利が 急騰して この国 吹っ飛びますけど、 さあ この ムリゲー どうします? ちなみに 安倍ちゃんは 日銀は政府の 子会社だから いくらでも 日銀に 国債 買い取らせればいい とか ほざいてましたけど。 もう 日銀による 国債の保有比率 6割 超えましたね。
立憲民主党の無責任、機会主義には本気で怒りを覚える。
昨日の日経新聞を切り抜いていたら、立憲民主党の議員の、無責任かつご都合主義には、心底怒り心頭に発するものがある。
こんな連中が野党第一党なのか?
責任感どころか、なんの矜持もない。
こんな連中に政権を任せたら、どうなるか分かったものではない。比例は立憲民主党に入れようかと思ったが、やめた。
こんな腐った連中に1票入れられるわけがない。
政権交代?
やってみろよ?
すぐに行き詰まるぞ?
ねむてーこと言ってんじゃねーよ。
・・・ま、どっちにしても今の内閣支持率じゃ、6月の参院選で自民党は大敗するんだろうからさ、そうなったらどうなるかってことよ。
長期金利急騰するだろうね。ここまでは市場も既に織り込み済みだろうけど、そこで自公政権が崩壊する、となったら、日本国債市場はかなり荒れるだろうね。
そうなって初めて、経済学をまるで理解していない連中が、日本経済がいかにヤバいかってことを、自覚するんだろうよ。
それならそれで、いいじゃん。
バカはいちいち痛い目見ないと、当たり前のこともわかんねーんだよ。
2025年5月20日火曜日
近代日本経済史@北九州サテライト レポート (再掲)
確かに『それから』で、前にたちはだかる資本主義経済とシステムが、急に前景化してきた感は大きいですね。 前作『三四郎』でも問題化する意識や構図は見てとれますが、そして漱石の中で<西欧近代文明=資本主義=女性の発見>といった公式は常に動かないような気もするのですが、『三四郎』の「美禰子」までは――「美禰子」が「肖像画」に収まって、つまりは死んでしまうまでは、資本主義社会はまだまだ後景に控える恰好、ですよね。 逆に『それから』で、明治を生きる人間を囲繞し尽くし、身動きとれなくさせている資本主義社会という怪物が、まさに<経済>(代助にとっては「生計を立てねばならない」という形で)に焦点化されて、その巨大な姿を生き生きと現すことになっていると思います。 労働も恋愛も、すべてにおいて<純粋=自分のあるがままに忠実に>ありたい代助を裏切って、蛙の腹が引き裂けてしまいそうな激しい競争社会を表象するものとして明確な姿を現します。 「三千代」もまた、それに絡め取られた女性として、初期の女性主人公の系譜ともいえる「那美さん―藤尾―美禰子」の生命力を、もはや持たず、読者は初期の漱石的女性が、「三四郎」や「野々宮さん」が「美禰子」を失ってしまった瞬間、初めて事態の意味を悟った如く、もはや漱石的世界に登場することが二度とないことを、痛感するのかもしれません。 『それから』が、このような画期に位置する作品として、登場人物たちが資本主義システムに巻き込まれ、葛藤する世界を生々しく描いたとするなら、次作『門』は、それを大前提とした上で――もはや資本主義社会は冷酷なシステムとしていくら抗っても厳然と不動であることを内面化した上で、そこを生きる「宗助―お米」の日々へと焦点が絞られていきますね。
泉鏡花論 私信 (再掲)
鏡花は文学史的には、 まずは「観念小説」に分類されるのでしたよね。 明治も半ばを過ぎて、 まさに資本主義の 合理主義、功利主義が 体制化されてゆく中で、 金銭や身分違い、 それをめぐって 掻き立てられる 欲望が 悲劇を招いてゆく 人間ドラマを、 しかしながら 自然主義的なドロドロした 醜悪な現実を 剔抉する手法とは異なって、 華麗な筆捌きで、 哀切感溢れる 昇華された人情の物語へ 仕立て上げているのが特徴、 といえばよいでしょうか。 (なにしろ鏡花は、 あの絢爛豪華な文体で 明治の人情世態を描いた 尾崎紅葉に入門したこともありました。) 特に 「夜行巡査」 「外科室」 などは、 社会の暗黒面 ーーいわば社会による疎外という テーマ性を有している点で 「観念小説」と呼ばれ、 このジャンルの代表作でもありますが、 上述のような 文体と作法を特質とするため、 小林くんの感じている 怪奇性やロマンティズムは 遺憾なく発揮されています。 この点を より発展させた大きな作品が、 『高野聖』『草迷宮』『夜叉が池』などで、 ここまでくれば 耽美的な「幻想文学」と称しても良いのでは、と。 「幻想」 は もちろん 人間の深層意識と不可分なので、 精神分析の手法を使いたくなるところです。 けっして 鏡花に詳しくはないので、 大きなことは言えないのですが、 とりわけ『高野聖』は、 人間が社会秩序に拘束され、 抑圧し続けている 「深層意識」を着眼点に、 日常 ー表層意識 対 非日常ー 深層意識 を機軸にして作品を読み解けば、 まさにテクストの 網目のようなものが 鮮明に見えてくる作品ではないかと思われます。 後には高僧となったという 若い日の「宗朝」が、 ふとしたことから迷い込んで、 一夜の宿りを求めた山中の一軒家は、 修行僧の日常が 抑圧してきた 彼の深層世界の現れ、 とでも言えそうです。 処女のような羞らいを見せるかと思えば エロティックな姐御の風貌も見せる 不思議な美女、 取り巻く猿や蟇の魑魅魍魎たち、 下僕のようでありながら 監視者でもあるような 「親仁」、 そして 心身の機能を奪われながら、 美女に かしずかれて 天上の声のような 清澄な唄声を響かせる 「白痴」。 お膳立ては十分、といった感じです。 そして、 この「白痴」を基点に、 この魑魅魍魎の山中の世界とは、 実は 近代国家によって 損傷され、周縁化された者たち ーー治療の過誤で不具にされてしまった者、 人間によって疎外された 動物たちこそが王座を占める、 日常の現実を反転させた 〈さかしまの世界〉 ではないか、と考えた時、 『高野聖』は、 単なる精神分析の対象を超えた、 一つの世界像として 見事に立ち上がってくるように思われます。 抑圧された者たちの、 いわば撓められた負のエネルギーが 一気に噴き出して 世界を反転させる時、 新たな世界の頂点は、 それまで最も抑圧されていた者たちによって 占められる‥。 ましてや、 上述のように きわめて両儀的な風貌を 見せる美しい女は、 名医とは名ばかりで 正しい医療知識とは無縁で、 今の「白痴」 ーー五体満足な少年の日の彼を 心身の機能の癒えた 「白痴」にしてしまった 藪医者の一人娘であったとなれば、 貧富や貴賤という 現実社会の権力関係が 反転した世界に於いては、 彼女は被害者 「白痴」 への人身御供的なポジションに あるのではないかといった 見立ても可能になってきます。 このように 山中一軒家の世界を、 近代化・文明化の過程で 抑圧されたものたちが徘徊する、 つまりはフロイド的な 「不気味なもの」 が何らかの機縁を以て 回帰してきた空間として、 明快かつ精密に読み解いた見事な論考に、 堀井一魔氏の 「国民の分身像ー泉鏡花「高野聖」における不気味なもの」 (『国民国家と不気味なものー日露戦後文学の〈うち〉なる他者像』、新曜社) があります。
漱石の「自然(じねん)」観を巡って (再掲)
質問:授業でうかがった漱石の自然(じねん)感ですが、それは代助が「青」の世界で拵えた造り物だったのでしょうか? 三千代との実質的な姦通というある種の「原罪」のために、代助は「赤」の世界へと放り出されるのでしょうか? 代助にとって、「じねん」の世界は、「青」の世界でしか成立しえないまがい物なのか、それとも本来的に人間にとって所有しえない抽象物なのか。 アドルノの「自然」観との対比でも、興味深く感じられました。 ご回答:「原罪」という言葉もありましたが、倫理的な漱石は、やはり代助の「青の世界」を(海神の宮の「3年」期限に同じく)、癒しをも意味する一定期間の滞留後には出て行くべき、後にするべき世界として想定しているように思われます。 その意味では、現実世界と水底とーー世界を2つに分断してしまっているのは「代助」であり、人間が現実世界の死を背負った存在である以上、当然、水底的な内なる世界と連続しているはずの赤い現実世界へ、代助が帰還すべきであることは自明であり、当然、代助は葛藤を体験しなければならない‥。こんな感じかなと思います。(オタク青年の現実世界への帰還)。 「じねん」ですが。 「青の世界」ーー自負する「自家特有の世界」で彼が創出した「己に対する誠」を起点に「自分に正直なー(作為や人為の加わることのない)おのずからな−あるがままの」といった展開上に「じねん」が生まれて来るわけですが、上述のようなテクストの構造から言えば、当然、「じねん」は「自然」の最も暗い側面ともいうべき欲動的なものと接続せざるを得ない。というより、元々、「じねんーおのずからな・あるがまま」自体が、まさに「あるがまま」の欲動的なものを内包している、と言うべきなのかもしれません。 そう考えれば、ストーリー展開に従って、「青」が「赤」に接続してゆくように、「おのずから」も「行く雲・流れる水」といった上澄的なものへの憧れの昂まりが、必然的に、同じく「おのずから」人が備えている欲望的な側面を、まさに、おのずから浮上させざるを得ない。 こういった感じなのではないでしょうか。 「じねん」は、「青の世界」の文脈では不本意ではあるものの、本来的に欲動的なものと切り離せず(極論すれば、それを含み込んだ概念であり)、重々、それを承知の漱石が、(身勝手に2つの世界を分断してしまっている)代助を現実世界ー欲望の世界へと、これまた人間の本来的にあるべき姿として、連接させてゆく。 その意味で、テクスト『それから』は、案内人・代助を立てて、「じねん」の世界を読者に一巡り、させてくれている、と言うこともできるかもしれません。 こうやって、「自然」の全体的姿が浮上、把握された上で、いったん『門』では、『それから』が「青」的側面に比重をかけていたのと対照的に、すでに物語開始時点では終わってしまっている「姦通」行為を、「赤」的側面ーー人間の本能(性的欲望)の観点から概括し、そして絶筆『明暗』では、まさに総体としての「自然」が、余裕を持ちながら俯瞰的に展開される‥。 スムーズに説明することは叶いませんでしたが、ほぼ、これが、今回の私の見取り図でした。 資料作りで上記を展開しつつ、「おのずから」という倫理学の概念を、もう一度、きちんと勉強したいという思いはふつふつと湧き上がっていたところ、また小林くんからは「アドルノの自然」という西欧的自然の視点を頂戴し、もう一度、文献を当たり直してみたいと切実に思い始めています。
<近代>と周縁化 (再掲)
後期資本主義批判を アドルノから荻野先生の社会学、 ゲーテを経て 漱石まで展開した動画を有り難う。 アドルノの後期資本主義批判は しばしば読ませてもらっていたところですが、 今回は 荻野氏の「詐欺」論へ 連接させることで、 論がひときわ具体性を増し、 鮮やかな像を結んだように思います。 不確定性に賭ける「詐欺師」とは、 計量と数値化を旨とする 近代合理主義社会の、 いわば虚をつく存在。 資本主義社会の到達点ともいえる 「管理社会」への 批判的メタファーなのですね。 それが足を置く場は、 まさに 資本主義社会の 「市場」の余白とでも表すべき領域。 とすれば、小林くん講話の 後半部のキーワードともいうべき 「自然」が、 まさに 商品の 等価交換から成り立つ 「市場」の〈外部〉であることと きれいに響き合っていることに、 つくづく感心しました。 そして、近代作家とは、 まさにその〈疎外〉感を以て、 同じく 近代が周縁化してしまった 〈自然〉 へ魅かれ、耽溺する者であるわけですね。 日本近代の場合、 より〈自然〉に親和的なのが自然主義作家で、 これをまさに 〈じねん〉 にみられるような 概念化への苦闘を経ることで、 欲望的な世界から 帰還してくるのが漱石、 ということになるでしょうか。 「ファウスト」こそ詐欺師では、 との小林くんの呟きにクスリとしながら つい頷いてもいるのですが、 その葛藤が 〈魂の救済〉 なるもので終結するのは、 やはりなんといっても キリスト教文化圏ならではの展開でしょう。 かの有名な 「疾風怒濤」期に 端的に現れる ゲーテの自然観 (近代的「自然」の発見)は、 日本の場合、 漱石よりも、北村透谷を経た 自然主義文学への影響の方が大きそうです。 いささか余談ですが、 ゲーテも、漱石も、そして ほとんどすべての男性・近代作家の描く異性愛の対象 ーー 〈女性〉 もまた 〈近代〉 が周縁化した存在なので、 なるほどテクストというものは 論理的かつ時代精神を おのずから反映したものだ、 と改めてつくづく納得した次第です。 いつものことながら、感謝です。誠に有り難う。 今回、頂戴した小林くん講話に これまで頂戴している 論考から得た知識を総合すれば、 資本主義-市民社会がもたらす 疎外、物象化に対する 苦悩という名の 徹底的相対化、 これこそが 漱石の文明批評の基盤であることが、 まさに 鮮明に図式化されて見えてくる感じです。 今回は 「ブログのハッシュタグ参照」とのことで、 アドルノとの関係への言及は省略されていましたが、 ここから展開してゆくのが、 何度か拝見させてもらった、 アドルノを援用した小林くんの 「それから」 論ですね。 主客分離から生じる疎外を批判し、 人間の自然 および身体の抑圧を論じながら、 原初的まどろみへの回帰は 徹底的に封じた アドルノの論理展開が、 何と代助の解読に有効であるか、 は、つねづね痛感するところです。
日本人はカルテルを組むのが大好き
質問:日本企業の、バブル崩壊後の過度のリスク回避と、円高不況による産業の空洞化による、内需の縮小と、同時に労働市場の貧困化によるデフレとそれに伴う低賃金は、一種の「労働価格カルテル」とも言えるだろう。その意味では、政府主導で賃上げを引っ張ることにも、それなりの意義があるのではないか。
google geminiの回答:おっしゃる通り、バブル崩壊後の日本経済が長らく苦しんできた、過度のリスク回避、円高不況による産業空洞化、それに伴う内需の縮小と労働市場の貧困化、そしてデフレと低賃金の連鎖は、企業が過度にコスト削減に走り、結果として労働者の賃金が抑制されるという点で、一種の「労働価格カルテル」と捉えることもできるかもしれません。
個々の企業は合理的な判断としてコスト削減を行うかもしれませんが、それが経済全体として見ると、需要の低迷や消費の冷え込みを招き、結果的に自らの首を絞めることになるという構造です。
このような状況下では、政府主導で賃上げを促すことには、以下のような意義が考えられます。
- デフレ脱却への貢献: 賃金が上昇することで、消費者の購買力が高まり、需要が喚起され、デフレからの脱却につながる可能性があります。
- 労働市場の活性化: 賃金の上昇は、労働者のモチベーション向上や人材の確保につながり、労働市場の活性化に寄与する可能性があります。
- 格差是正: 低賃金層の賃上げは、所得格差の是正に貢献する可能性があります。
ただし、政府主導の賃上げには、以下のような課題も存在します。
- 企業の収益圧迫: 特に収益力の低い中小企業にとっては、賃上げが経営を圧迫する可能性があります。
- 国際競争力の低下: 一律の賃上げは、国際的に見て日本企業のコスト競争力を低下させる可能性があります。
- 市場原理への介入: 政府による賃金への介入は、市場原理に歪みを生じさせる可能性があります。
したがって、政府主導の賃上げを行う際には、これらの課題を十分に考慮し、企業の生産性向上や構造改革と並行して行うことが重要になると考えられます。
政府主導の賃上げについて、さらに何か気になる点や議論したい点はありますでしょうか?
うつ病譚 (再掲)
何かの防衛機制
小論
2025年5月19日月曜日
どうやら
オッサンの床屋談義
また行ってきた。
ホッと一息
不胎化されたレポートその10 (再掲)
てきとーな話
2025年5月18日日曜日
なんだろうな・・・
「脱常識の社会学」 ランドル・コリンズ 岩波現代文庫
飽くまで一般論として。怒られるかも知れないけど。
Googleの生成AIに要約してもらった。 「やさしい経済学」 ー資金循環で見る日本企業の姿ー 帝京大学教授 田中賢治
仕事とエンジョイ
血液検査の結果
2025年5月17日土曜日
チッ!モヤモヤするぜ。
なかなかキビシイ・・・
自己分析 ちょーキレイゴト
やっぱバカはバカだな。
2025年5月16日金曜日
かなしいかな
落ち着きどころ
インタゲと増税はワンセット (再掲)
泉鏡花論 私信 (再掲)
2025年5月15日木曜日
Googleの生成AIマジ便利。とりあえず疑問が解決した。 (再掲)
Googleの生成AIが上手い具合にまとめてくれた。 (再掲)
日常生活とつながる「行政法」@郡山女子大学 レポート (再掲)
不胎化されたレポートその2 (再掲)
ドストエフスキー (再掲)
キリスト教哲学の歴史@八戸サテライト レポート (再掲)
アリストテレスの倫理学@茨城大学 レポート (再掲)
ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 レジュメより (再掲)
ソクラテスに批評精神を学ぶ@茨城大学 資料より (再掲)
闘う家長
Googleの生成AIがまとめてくれました。 なぜ米は安くならないのか?
ビジネスと経済学@茨城大学 (再掲)
Googleの生成AIに聞いてみた。 なぜ米は安くならないのか? その2
Googleの生成AIに聞いてみた。 なぜ米は安くならないのか? その1
2025年5月14日水曜日
悪意すら感じる
「社会経済の基礎」質問と回答その4 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その3 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その2 (再掲)
「社会経済の基礎」質問と回答その1 (再掲)
近代日本経済史@北九州サテライト レポート (再掲)
漱石の「自然(じねん)」観を巡って (再掲)
<近代>と周縁化 (再掲)
不胎化されたレポートその10 (再掲)
夏の参院選
2025年5月13日火曜日
Googleの生成AIに聞いてみた。結構大事な話。
循環器内科
意識付け
頻脈
意味不明
2025年5月12日月曜日
Googleの生成AIマジ便利。とりあえず疑問が解決した。 (再掲)
Googleの生成AIが上手い具合にまとめてくれた。 (再掲)
久しぶりにメンタルクリニック行って来ました。
また今日から頑張ろう。酒って怖いね。
プログラミング (再掲)
2025年5月11日日曜日
体育祭
2025年5月10日土曜日
レポートネタ 参照:妄想卒論その7 (再掲)
妄想卒論その7 (再掲)
スローラーナー
確か去年だったか、放送大学で民法の単位を取得した。Cだったけど。 中大通教始めた時から換算しても、軽く10年以上かかって、ようやく初めて民法の単位を大学の正式な単位として取得した。 もともと、「君子危うきに近寄らず」の精神でいれば、民法のお世話になんかならない、と思い込んでたの...
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1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られ...
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もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...
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20年前、 2003年の大晦日に 館林の 中学の同級生の家に 集まって、 もう 彼ら カラオケとかボーリングじゃ 飽き足りなくなってて、 車の免許も 持ってるから、 太田の 歓楽街に連れてかれて、 オッパブ行くことになって、 しょうがないから 付いてった。 今だに キャバクラすら...