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とりあえずGoogleの生成AIに聞いてみた。

ご質問ありがとうございます。MM理論とバブル崩壊後の日本経済の状況、そしてなぜ「銀行がダメなら証券市場で資金調達」という論理にならなかったのか、という点について解説します。 ご指摘の通り、ミラーとモディリアーニ(MM)理論は、税金や取引コストなどの要因を無視すれば、企業の資金調達方法(自己資本か他人資本か)は企業価値に影響を与えないとします。これは、効率的な資本市場と、企業のリスク構造は投資家が個人的な借り入れや株式の売買によって調整できるという前提に基づいています。 しかし、バブル崩壊後の日本経済においては、MM理論が前提とするような効率的な資本市場の機能が大きく損なわれました。ご提示の回答にもあるように、企業行動はMM理論の想定とは大きく異なる方向へ進みました。その背景には、以下の要因が考えられます。 1. 銀行の機能不全と信用収縮: バブル崩壊によって不良債権が積み上がり、銀行の貸し出し能力が著しく低下しました。 銀行はリスク回避的な姿勢を強め、新規融資に慎重になり、既存の融資の回収(貸し剥がし)に動くケースも見られました。 これにより、企業は銀行からの資金調達が困難になり、他人資本へのアクセスが大きく制限されました。 2. 企業の過剰なリスク回避と内部留保の重視: バブル崩壊の痛烈な経験から、企業はリスクを取ることを極度に恐れるようになりました。 将来の不確実性に備え、リストラやコスト削減を進め、利益を内部留保として積み上げる傾向が強まりました。 自己資本比率を高めることが重視され、積極的に外部からの資金調達を行うインセンティブが働きにくくなりました。 3. 証券市場の未成熟とリスクマネーの供給不足: 日本の証券市場は、アメリカなどの市場と比較して、リスクマネーの供給が十分ではありませんでした。特に、成長性の高い中小企業やベンチャー企業に対する資金供給は限られていました。 投資家もリスク回避的な傾向が強く、株式投資に対する慎重な姿勢が見られました。 そのため、銀行からの借り入れが困難になったとしても、証券市場がその代替となるほど十分に機能していなかったのです。 4. デフレ経済の長期化: バブル崩壊後の日本経済は長期的なデフレに陥り、物価や賃金が持続的に下落する状況が続きました。 このような状況下では、将来の成長期待が薄れ、積極的に投資を行うインセンティブが働きにくくなります。 企業は新たな事業展開よりも、現状維持やコスト削減を優先する傾向が強まり、外部からの資金調達意欲も低迷しました。 5. メインバンク制度の影響: バブル崩壊前まで、日本の企業は特定の銀行と長期的な関係を持つメインバンク制度が一般的でした。 この制度の下では、企業は主にメインバンクからの借り入れに依存しており、証券市場からの資金調達は相対的に少ない傾向にありました。 バブル崩壊後、メインバンクの機能が低下したものの、企業がすぐに証券市場に資金調達の軸足を移すことは容易ではありませんでした。 これらの要因が複合的に作用し、バブル崩壊後の日本経済においては、「銀行がダメなら証券市場で資金を調達しよう」という論理にはなりませんでした。むしろ、企業は自己資本を積み上げ、リスクを回避し、場合によっては余剰資金を金融市場に貸し出すという、MM理論とは逆の行動をとるようになったと言えます。 ご提示の回答にあるように、この状況は「資本主義」の本来の姿とは異なり、企業の成長意欲や企業家精神の低下を示唆するものとして捉えられています。企業がリスクを取って積極的に投資を行い、そのための資金を多様なルートから調達する本来の資本市場の機能を取り戻すことが、日本経済の再生には不可欠であると言えるでしょう。

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