投稿

12月, 2024の投稿を表示しています

生きること、死ぬこと レポート予備

日本は、少子高齢化に伴い、本格的な多死社会に突入した。 私は、母方の祖父が思いっきり先の大戦に従軍したので、 祖父を見て、 ご老人というのは 死ぬのが怖くないものだ、と 思っていた。 しかし、訪問ヘルパーさん (特に年配の女性) も、 やはり 死んでいくことに対する 恐怖や、生の虚しさを抱えている、と感じる。 私自身、43になっても、やはり 死ぬのはそれなりに怖い。 いざとなれば、やっぱり生きたい。 近代以降、人間は 論理的に死ぬことを目指してきた。 言い方を変えれば、 知の力を使って、 死の恐怖や、生の虚しさを 克服する営みを続けてきた。 確かに、 カントやゲーテ並の哲学を理解していれば、 それも 可能だろう。 しかし、一体どれほどの人が その境地にたどり着けるというのだろうか? 理屈で死ぬには、相当の学問が 必要だ。 そんなことが可能なのは、ごく一部の インテリだけだ。 生まれつき 勉強が得意でない人も当然いる。 そのような人たちに向かって、 理屈で死ぬことを 強要するのは、土台無理がある。  エマニュエル・レヴィナスによれば、 人間は 他者から、既に<呼びかけられている>という。 これは、もちろん 人間がたったひとり 世界に孤独に生きている場合も 同様だろう。 そして、その<他者>とは、 無限の隔たりがある、と レヴィナスは言う。  ならば、その<他者>は、 神の痕跡を残していると言って良い。 そう考えると、 人間存在は、現代社会においても、 <世界>に対して、 ほとんど 何も知り得ていない、とも 言いうる。  で、あるならば、 人間に対して 理屈で死ぬことを強要するのは、 傲慢ではないだろうか?  むしろ、理屈では説明できない世界を 肯定する余地があっても いいのではないだろうか? なぜならば、 <人間>は、この「世界」のことを ほとんど 何もわかっていないのだから。

グーグルの生成AIにキーワード打ち込んだら、こんな回答してきた。

Gemini 1.5 Flash Gemini との会話 オイディプス王 盲目 「見る」ということ 真理 自我同一性 メデューサ ナルシシズム オイディプス王、盲目と「見る」こと:深淵な真理と自我同一性 ソフォクレスの『オイディプス王』は、運命と人間の自由意志、そして自己認識の深淵を描き出した傑作です。物語の中心人物であるオイディプス王の悲劇は、彼が「見る」ことの意味を深く問い直し、最終的に盲目となることで真実に到達する過程を通じて、私たちに多くの示唆を与えてくれます。 盲目と「見る」ことの二面性 オイディプスは、スフィンクスの謎を解き明かしテーバイの王となった英雄です。しかし、その栄光の裏には、恐ろしい運命が待ち受けていました。彼は、実の父を殺し、母と結婚するという恐ろしい予言を逃れようとしますが、皮肉にもその予言を自ら成就してしまうのです。 オイディプスが自らの目を抉り出すという衝撃的な結末は、一見すると、彼が「見る」ことを放棄したように思えます。しかし、この行為は単なる自己罰ではなく、むしろ真実に目を向けるための新たな視点を獲得したことを意味していると言えるでしょう。 肉体的な目と精神的な目: オイディプスは、肉体的な目を失うことで、初めて精神的な目で世界を見ることができるようになったのです。彼は、自らの犯した罪の深さを痛感し、人間存在の悲劇的な側面を深く理解するに至ります。 真実を見ることの恐ろしさ: 真実を見ることは、必ずしも幸福をもたらすとは限りません。オイディプスは、真実を知ることによって、愛する者たちを傷つけ、自らも破滅へと突き進んでいきます。しかし、彼はそれでもなお、真実を知りたいという人間の根源的な欲求に突き動かされるのです。 メデューサとナルシシズム:自己を見つめることの困難さ オイディプスの物語には、ギリシャ神話に登場するメデューサやナルシシスの物語との共通点が見られます。 メデューサ: メデューサは、その姿を見た者を石に変えてしまう恐ろしい怪物として描かれます。これは、自己の醜い側面や暗い欲望に向き合うことの困難さを象徴していると言えるでしょう。オイディプスもまた、自らの犯した罪に向き合うことで、精神的な苦痛を味わいます。 新しいウィンドウで開く www.britannica.com Medusa Greek Mytholo...

「金融と社会」質問と回答その7

質問: インフレ目標政策についてうかがいます。 私の実感でも、物価が上がってきたなー、と感じます。 より正確には、 通貨(円)の価値が目減りした ということだと思われますが。 あまり国民の生活が苦しくなれば、 物価の安定という意味では、 金利をあげたほうがまだマシ、 と考える家計も 増えてくるのではないかと考えます。 そうすると、なるほどこれがフィッシャー効果か、 と思われるのですが、 確かに 実質金利がさがったことで 消費者の購買意欲が増したことで 景気の底割れを防ぎ、 政府の名目上の税収も 増えていると言われています。 しかし、かといって、 国も企業も家計も借金まみれの現状では、 今さら金利を上げられるのか、 甚だ疑わしいです。 なぜなら、 金利の上昇は、確かに通貨(円)の価値を 底上げする可能性はありますが、 上述のように 政府・企業・家計が借金まみれの状態では 金利の上昇は難しいことは無論、 長期金利の上昇は、 政府の借金の利払いを増嵩させるのみならず、 日本国債の価格を低下させるため、 発行済日本国債の6割を保有すると いわれる日銀の財務状況を、 著しく危殆にさらすものと考えられるからです。 果たして、 これが当初のインフレ目標政策の 目指していた姿なのか、 甚だ疑念を感じずにはいられません。   回答: 質問文に書かれていることは、私も理解できます。 インフレ目標政策が 2013年に導入を余儀なくされた時、 当時の白川総裁には その問題点がわかっていたと思います。 日銀が2000年に インフレ目標政策について調査したレポートを リンクしておきます。    http://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2000/data/ron0006a.pdf