日本は、少子高齢化に伴い、本格的な多死社会に突入した。
私は、母方の祖父が思いっきり先の大戦に従軍したので、
祖父を見て、
ご老人というのは
死ぬのが怖くないものだ、と
思っていた。
しかし、訪問ヘルパーさん
(特に年配の女性)
も、
やはり
死んでいくことに対する
恐怖や、生の虚しさを抱えている、と感じる。
私自身、43になっても、やはり
死ぬのはそれなりに怖い。
いざとなれば、やっぱり生きたい。
近代以降、人間は
論理的に死ぬことを目指してきた。
言い方を変えれば、
知の力を使って、
死の恐怖や、生の虚しさを
克服する営みを続けてきた。
確かに、
カントやゲーテ並の哲学を理解していれば、
それも
可能だろう。
しかし、一体どれほどの人が
その境地にたどり着けるというのだろうか?
理屈で死ぬには、相当の学問が
必要だ。
そんなことが可能なのは、ごく一部の
インテリだけだ。
生まれつき
勉強が得意でない人も当然いる。
そのような人たちに向かって、
理屈で死ぬことを
強要するのは、土台無理がある。
エマニュエル・レヴィナスによれば、
人間は
他者から、既に<呼びかけられている>という。
これは、もちろん
人間がたったひとり
世界に孤独に生きている場合も
同様だろう。
そして、その<他者>とは、
無限の隔たりがある、と
レヴィナスは言う。
ならば、その<他者>は、
神の痕跡を残していると言って良い。
そう考えると、
人間存在は、現代社会においても、
<世界>に対して、
ほとんど
何も知り得ていない、とも
言いうる。
で、あるならば、
人間に対して
理屈で死ぬことを強要するのは、
傲慢ではないだろうか?
むしろ、理屈では説明できない世界を
肯定する余地があっても
いいのではないだろうか?
なぜならば、
<人間>は、この「世界」のことを
ほとんど
何もわかっていないのだから。
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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