2023年8月11日金曜日

ルカーチ メモその1 講談社 現代思想の冒険者たち 初見基

<芸術のための芸術> といった 言い回しに 端的に 表されているような 芸術の 自律性が 意識的に 打ち出されるように なったのは、 ようやく 十九世紀後半からの ことだ。 客観的には、 市民社会の 近代化・合理化によって <芸術> も 独立した一分野として 分化・制度化された、 ということがあろう。 また 主観的には、 そのような 近代化・合理化、 あるいは 自然科学的世界観 の 進展に対する 反動として、 <合理性> の観点からするなら 受け入れられない、 いわば <非合理> なるものを 避難、確保させる 場所が、 <芸術> という領域に託された、 ということにでも なるだろう。 ともあれ そこでは <芸術> は、 なにものかに 仕えるという 役目を放り出して いるかのように見え、 華々しい 破壊の身振りすら しばしば 伴う ことになる。 とりわけ <世紀末芸術> においては、 生や希望、 徳が 愛でられるのではなく、 死、絶望、背徳、残虐 といった 負の要因に <美> が 託されたりもする。 39~40ページ

0 件のコメント:

コメントを投稿

曽根崎心中 (再掲)

愛という感情が日本の歴史上にも古くから存在していたことは、 源氏物語にも書かれていることで、わかる。 しかし、 日本の宗教観念には、愛を裏打ちするものがない。 改行(節目節目で改行がある方が効果的。以下、同じ。) 曾根崎心中は、 男が女郎をカネで身受けしようとするが、...