2022年3月7日月曜日
貨幣と原罪
酒井英行先生が、「漱石その陰翳」(沖積社)で書いているように、夢十夜に出てくる、盲目の子供を背負って、言われるまま森の中をさまよっていると、突然、子供が、おとっつあん、ちょうど100年前の今日だったね、あんたが俺を殺したのは、という粗筋のテーマは、漱石のみならず、伝承として広く伝えられている主題らしい。
特に、六部殺しというカテゴリーでは、あの富豪は、昔人を殺したから金持ちなのだ、という逸話が多いそうだ。
日本の資本主義の幕開けに立っていた漱石にとって、最後に行き着いた先は、原罪というテーマだったのか。
「それから」における主客合一のまどろみから、現実の世俗の世界に踏み出した漱石にとって、貨幣を媒介として形成される「管理された世界」(アドルノ)の中に足を踏み入れることは、否応なく、イノセントではいられない世界に生きることを余儀なくされることだったのかもしれない。
ゲーテの「ファウスト」における「ワルプルギスの夜」では、自己増殖的な金融のソドム的性質が暴かれるが、メフィストフェレスとともに散々やりたい放題やったファウストの魂は、最後の最後には、救済される。
この、日本とドイツの文豪における、貨幣に対する捉え方の違いはなんなのか。
一つの簡単な答えは、結局、ヨーロッパでは、金融は卑しむべきものとして、ユダヤ教徒に押し付けられていた、という背景があったということだろうか。
近松門左衛門の「曾根崎心中」では、商都大阪において、カネ絡みで心中を余儀なくされる恋人がテーマとなっているが、主人公が篤く仏教を信仰していたことからもわかるように、まだ江戸時代には、カネ絡みで白眼視されるくらいなら、死を選ぶ、という気風があったのだろう。
内田隆三氏が「国土論」で記述しているのは、戦後の日本においては、なによりも<生>とカネへの執着であって、三島由紀夫が命を賭して嫌悪を示したのは、まさにその執着心であった。
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