striking a balance with myself
俺は、基本的にお人好しな人間だ。
これは最初にことわっておく。
そうしないと、話が始まらない。
かといって、自分が善人だと言いたいわけではない。
悪人だとは思わないが。
しかし、悪とは善のある種の欠如らしい。
きっと、俺にもそういうことはあるだろう。
ただ、自覚がないだけだろう。
それはともかく、やはり、俺はお人好しである。
そんなお人好しが、慶応SFCみたいなところに行くと、exploitされる。
果てしなく。
それは、当時も自覚していた。
ここで、俺にとって、「特異点」みたいなやつが出てくる。
正直、墓場まで持っていくつもりの話だった。
しかし、時が経ち、いま、敢えてそれについて語ってみたいと思う。
大した話じゃない。
(書くほうはシンドいが。)
もうすぐゴールデンウィークも明ける。
22年前の5月14日。
俺は精神錯乱した。
それは、いい。
しかし、事実は事実だ。
さて、俺にとって「特異点」とは何であるか。
ある意味シンプルだ。
「特異点」とは論理で、あるいは理性で語れない存在だからだ。
しかし、ある意味簡単な話だ。
つまり、どんなにその中身を探してみても、なんら人間として「光る」ものが見いだせない存在だ。
ただ、それだけのことだ。
俺は、慶応SFCで、あらゆる奴らにexploitされていた。
ああいうところは、結局いかに俺みたいなマヌケなお人好しからexploitするかを、競っているような連中の集まりだ。
(いまはどうだか知らない。)
しかし、今になって思うのは、人間とは、ある意味では思考回路、そしてそこから導き出す行動も、ある種のプログラミングされた存在なのではないか、と。
俺は、茨城大学で古代ギリシャ道徳哲学を学んだので、一応それなりに道徳的な振る舞いをするようにプログラミングされている。
しかし、結論から言えば、人間とは、生きた限りの存在なのだ。
俺みたいに、統合失調症で精神障害2級の人間は、精神医学の常識では、ひたすら薬で抑え込んで、(俺も薬は絶対必要だが。)とにかく大人しくさせておくしかないのだ。
しかし、俺はそんな常識の反例であり続けたいと思っている。
(そんな常識など、クソ喰らえだ。)
確かに、こうやって「特異点」について語るのは、かなりタフな作業ではある。
それこそ、一生語れない、と思っていた。
しかし、結局人間とは生きた限りの存在だと思っている。
俺は、精神医学の常識に対する「反例」であり続けたいと思っている。
なぜそんなことが出来るのかは、秘密だ。
なぜならば、それは俺の一番の急所だからだ。
そんなことを、公開できるわけがない。
しかし、至極単純なことだし、それに、バラしたところで滅多なことでは真似できるものではない。
別に自慢したいわけではないが。
しかし、俺はこの22年間の軌跡で、「反例」であり続けた、と思っている。
話を「特異点」に戻すと、とにかくその「特異点」は、人間(?)として、どんなに深く潜って探しても、一切の「光」を見いだせなかった。
(いまこうして書いていても、それなりにタフだ。)
つまり、もっと記述的に書くと、協力ゲームをしているフリをしていながら、極めて冷徹に自己の利得をマシーンのごとくプレーできる存在だ、ということだ。
少なくとも俺が診断するに。
俺は、その頃、限界ギリギリまで、精神的に参っていた。
(薬も飲んでいなかったのだから。)
しかし、俺のお人好しなtraitを、この「特異点」はどこまでexploitするのか、試してみたい、と思ってしまったのだ。
それが、逆説的にその「特異点」に、人間としての「光」があるのか、探索する手段だったのだ。
だが、結論から言えば、そこにはなんの「光」も見いだせなかった。
おそらく、どこまでもどこまでも冷徹にゲームをこなせるマシーンなんだろう。
俺にとっては、もはやその「特異点」は人間ですらない。
だから、俺は、俺の部屋に「それ」が俺を殺しに来た、という妄想に囚われて、本能的に殴っていたのだ。
もちろん、それは誇大妄想だし、単にドアを殴っていただけなので、特段誰にも物理的な攻撃は加えていない。
ともかくそんな訳で、俺は警察に身柄を拘束され、警察署で検尿されたあと、芹香病院というところに、搬送された。
これ以上、「特異点」について語るのは、止めよう。
結局、ただの冷徹なマシーンでしかない、極めてシンプルな「それ」でしかないのだから。
極めて陳腐な話だ。
ただ、それだけのことだ。
・・・ここまで語れる日が来るとは、正直思っていなかった。
と、いうのは、そんな「特異点」も、ある種のtraitの究極の形態に過ぎない、ということを、学んだからだ。
つまり、そういう「それ」も、社会の歯車として、何喰わぬ顔をして、それなりに成功者として暮らしているだろうからだ。
スタンレー・ミルグラムの「服従実験」というものがある。
非常に簡単な実験で、簡単に言えば、世の中で平穏無事に暮らしている平凡な人間も、ある種の条件が揃えば、人間に対してどこまでも弑虐的になれる、ということを実証した実験だ。
(この実験は、もともとナチズムを解明する意図で考案されたらしい。)
現代の日本人だって、同じだ。一見善良な人が、ある種の条件のもとでは、人間として逸脱した行為を行ってしまう。
そのことは、この22年間で、ひとつかふたつくらいは経験した。
そんなに大袈裟な話じゃない。
世の中の何割かは、そういうcharacterの人間で占められているのだ。
特別なことではない。
・・・結局、俺はお人好しな人間でしかなかった。
(いま、そういう結論に達して、ある程度は安堵している。)
つまり、悪とは、ある種の善の欠如に過ぎないとしても、世の中には、なんの「光」も見いだせないマシーンみたいな存在がいる、という、ただそれだけのことだ。
そういう「特異点」でも、平穏無事に(おそらく)生涯を全う出来るのが、世の中というものなのだ。
たぶん。
つまるところ、人間とは生きた限りの存在なのだ。
俺は、善人ではないが、悪人でもない、と思っている。
なぜならば、無駄に人を傷つけたくないし、困っていれば、助けたい、と思うからだ。
世の中も、ある意味では宇宙のようなものかも知れない。
その中には、たまには「特異点」が存在する、という、ただそれだけのことだ。
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