菜根譚

グラスの底に、逃げ場のない「澱」が溜まっている。

それは、捨て去ることができなかった執着か、

あるいは、正体もわからぬまま抱え続けてきた後悔か。

鏡を拭うたび、

自分でも気づかないふりをしていた、醜い輪郭が浮き彫りになる。

けれど、その濁りを含めて引き受けることこそが、

灰になるまで生きるということなのだろう。

世の中は、透明であることばかりを求めるけれど。

澱みのない水には、魚も、人の業も棲みつくことはできない。

ふと、他者の眼差しが、その濁った底まで見透かしてくる。

それは拒絶ではなく、

「お前は、その澱と共に、どう生きるのか」という静かな問いだ。

救いなんて、どこにもない。

ただ、澱んだ記憶さえも暖簾の一部として、

私は、この冷えた夜をやり過ごす。

すべてが灰に還るとき、

この澱みさえも、美しい模様に見えるのかもしれない。

ただ、そこに在る。

濁りながらも、揺るぎなく。

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