ヒトは、老いる。

 


自分も、トシを喰ったものだ、と感じる。

いま俺は44歳だが、30代の頃は、あれほどメシを食えたのに、今では全盛期の半分も食えないと思う。

アッチも、そうだな・・・ご無沙汰だな。

(っていうか童貞だよ。)

人間は、老いる。

分かっていることだが、最近実感する。

髪も、だいぶ白髪混じりになってきた。

ふと、なぜ若者は若いのか、不思議な感覚にとらわれることがある。

なぜ老いてゆく存在から、活力のある存在が新たに産まれるのか。

ほとんど神秘的としか言いようがない。

しかし、老いる、というのは、決して悪いことではない。

確かに、若い頃には、可能性、言い換えれば、選択肢が沢山ある。

それは一見いいことづくめにも見えるが、選択肢が沢山ある、ということは、自分の日々の選択で自分の未来が如何様にも決まってしまうということでもあり、極めて残酷なことでもある。

当然、運もある。

俺だって、高校受験でどこに受かるかで、どこの学校に入るかで、かなり人生の方向性が変わっていただろう。

(そもそも高校受験するかどうかも。武蔵に受かったのも、ラッキーと言えばラッキーだ。尤も、入ってからの苦労のほうが遥かに大変だったが。)

ええと、なんだっけ。

俺には文才がない。

アリストテレスによれば、人は自分の人格に、責任を負わなければならない、と言ったそうだ。

それは、日々の選択が、自分の人格をつくるからだ、と。

その意味が、今は確かに実感としてわかる。

40代半ばともなれば、急に生き方は変えられないし、どうしても生き方のクセというものが出来てしまう。

良くも悪くも。

だから、若い頃からどういう行いを日々選択してきたか、が問われる。

ある意味残酷な話だ。

でも、俺は自分の人生に満足している。

少なくとも、後悔はしていない。

ヒトは、老いる。

だからこそ、若いうちにどれだけ自分に投資できたかが、問われる。

それもまた、残酷な話だ。

俺も、確かにどん底も味わった。

でも、負けなかった。

それは、自分の力だけではない。

意志の問題として。

人は自分の意志だけで生きている訳ではない。

決して。

自分の意志が糸の切れたタコのような状態で、微かに繋ぎ止めてくれる存在がいるかどうか、だ。

ちょっと説教臭いな。

でも、覚えておいて欲しい。

だから、人は誠実に生きなければいけないのだ。

自分自身のために。

俺はいま、自分の「老い」を、静かに慈しんでいる。

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