考えること。耐えること。

 ネット空間は、抑制の効かない、論理をまとった感情で溢れている。

そのせいかどうかはわからないが、一見社会的な生活を順調に送っている人も、一皮剥けば、およそ人間離れしたかのような野蛮を内に秘めていたりする。

とはいえしかし、人間とはもともとそういう側面を持っているのだろう。

戦争などの折に行われる残虐な行いの数々、それは、人間とはタガが外れれば、どんな蛮行でもやってのけてしまうことを証明している。

それは現代においても同じ、ということだろう。

それは、カッシーラーが予言したように、どんなにテクノロジーが発達しても、その極致に野蛮が復活する、ということではないか。

しかし、私は、それに抗いたい。

たとえ、たまには家族にキレたとしても。

歴史が進化した末に野蛮が蘇るなら、逆に、時代を遡って、古典から人生の知恵を教わるべきことだって、あるだろう。

いずれにしたって、人間、放恣はよくない。やるにしても、たまにはで済ませなければならない。

あっちが痛い、こっちが痒い、とばかり言っていては、社会生活は送れない。

とはいえ、都会の気の狂うような通勤事情を日々こなしている生活者は、俺から見れば、常軌を逸している。

よくあんな生活をしていられるものだ。東京とはおよそ人が住むのに適しているとは思えない場所だ。

自分は高崎という地方都市で、結構便利で、快適な暮らしをしている。

で、あるならば、とりあえず我慢できることは我慢して生きていかなければならない、と思う。

怒りをすべてブチまけられたら、それは楽だろう、と思う。

しかし、それを自分に許してしまえば、ちょっとしたことですぐにギャーギャー泣き叫ぶ、それこそ子供のような大人になってしまうだろう。

そこに、人間としての尊厳はない。

やはり、大人として生きていくには、耐えることも大事なのだ。

つまり、一時の感情に支配されるのではなく、考えに考えて、耐え抜くこと。

人生に価値が生まれるのは、そういう時間においてだろう。

働いてないお前がいうな、という話だが。またそれは別の話だ。

俺には俺のやることがある。

襟裳岬

コメント

このブログの人気の投稿

「金融と社会」質疑応答を基にした、Googleの生成AIによる詳細なレポート