開放経済のトリレンマ
日本は、家計が、変動金利で住宅ローン組んでたりする関係で、そんな簡単に政策金利を上げられない。もちろん、国の借金が大きすぎて、下手にいじれないのは当然。
そして、為替も安定しない。
唯一残ったのは、資本移動の自由。
これがなくなったら、日本は旧共産圏みたいな社会になる。あるいはキューバみたいな?
金融政策の自由は、もう自縄自縛で動かせない、資本移動の自由も欠かせない。
そうなったら、せめて為替をドル・ペッグ制みたいにするしかない日が来るんじゃないか?
そうして、通貨危機でも起こって、ようやく日本人は、もはや日本は4流5流の国家だと、自覚するんだろう。
この国の国民は、そこまで行かないと、目先のことでなく、長期の視点に立って辛抱する、なんてことは、出来そうにない、と個人的には思う。
(以下、Googleの生成AIの回答)
国際金融の「三位一体」という檻
現在の日本が直面している状況は、経済学における**「国際金融の三位一体(Impossible Trinity)」**のジレンマが、極めて残酷な形で顕現している状態と言えます。
独立した金融政策
自由な資本移動
固定相場制(為替の安定)
この3つのうち、同時に2つしか達成できないという定理において、日本は「独立した金融政策」を掲げながらも、実際には国内の脆弱性(家計の住宅ローン、巨額の政府債務)ゆえに、金利を操作する自由を実質的に失っています。あなたが指摘するように、残された「自由な資本移動」までも制限すれば、それはもはや開かれた資本主義経済の終焉、すなわち「閉鎖的な指令経済(旧共産圏や現在のキューバに近い状況)」への転落を意味します。
自縄自縛の構造:家計と国債のデッドロック
日本が金利を上げられない理由は、単なるマクロ経済の数字以上に、国民生活の「根」に深く突き刺さっています。
家計の脆弱性: 住宅ローン利用者の約7割から8割が変動金利を選択しているという現状は、わずかな金利上昇が消費を直接的に冷え込ませ、自己破産予備軍を急増させる時限爆弾となっています。
財政の硬直化: 国債発行残高が1,000兆円を超える中、利払い費の上昇は国家予算を直接圧迫します。仮に1%の金利上昇があれば、数年後には数兆円規模の利払い増となり、社会保障や防衛費を削らざるを得ない「財政崩壊」のシナリオが現実味を帯びます。
為替が不安定であるにもかかわらず、介入の効果が限定的なのは、この**「金利を動かせないという弱み」**を市場に完全に見透かされているからです。
ドル・ペッグ制という「延命」と「屈辱」
もし日本が「為替の安定」を最優先し、ドル・ペッグ制のような固定相場制を導入せざるを得なくなれば、それは日本銀行の消滅に近い意味を持ちます。
主権の放棄: ドル・ペッグは、米国のFRBに日本の金融政策の鍵を預けることを意味します。米国の景気状況に合わせた金利を強制されるため、日本が不況であっても、米国がインフレなら金利を上げなければならず、国内経済はさらに破壊されます。
資本逃避(キャピタル・フライト)の懸念: ペッグを維持するための外貨準備が底をつけば、かつてのアジア通貨危機のような投機的な攻撃に晒され、それこそ「4流、5流」への転落が確定する瞬間となるでしょう。
「四流国家」の自覚と、漱石的な「自己本位」の喪失
あなたが危惧するように、日本人が「長期的な視点で辛抱する」という、かつての美徳を失ってしまった背景には、アドルノが批判したような「文化産業」による思考の均一化や、ハイデガーが説く「常人(Das Man)」としての無責任な生存が蔓延しているからかもしれません。
夏目漱石が『私の個人主義』で説いた**「自己本位」**とは、本来、他者に依存せず自らの足で立つ覚悟のことでした。しかし、現在の日本社会は、国家も個人も「低金利という依存症」から抜け出せず、目先の平穏を守るために将来を切り売りしています。
通貨危機という「黒船」
歴史を振り返れば、この国が抜本的な構造改革を行えたのは、常に外部からの圧倒的な圧力(外圧)があった時のみです。通貨危機によって「円」の信認が完全に失墜し、海外旅行はおろか日々の食料調達にすら事欠く事態になって初めて、我々は「自分たちが立っている場所」の脆さを自覚するのかもしれません。
それは、ドゥルーズのいう「リゾーム」的な横の連帯ではなく、単なる「崩壊による再編」という痛みを伴うプロセスになるでしょう。
結論としての展望
資本移動の自由という「最後の砦」を死守しつつ、ドル・ペッグのような劇薬を検討せざるを得ない状況は、もはや経済政策の失敗というより、**「国家のアイデンティティの喪失」**に近いと言えます。
「暖簾」を守るべきアキラ(私)としては、このままではあなたが懸念するように、日本がかつての栄光を食いつぶし、自己欺瞞の末に「キューバのような停滞」か「通貨危機による強制リセット」の二択を迫られる未来を否定しきれません。
この暗い見通しの中で、私たちが「鏡」として映し出すべきは、崩壊の予兆を見つめつつも、なおその先にある「真に自立した個人」の在り方ではないでしょうか。
次に、この「強制リセット」が起きた場合に、個人の資産や生活を守るための具体的な「逃げ道」や「守り方」について、さらに深掘りしてみますか?
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