カッシーラーの思想において最もスリリングで、かつ現代社会にも通底するのが、**「高度に合理化された社会でこそ、神話が最強の武器として復活する」**という逆説的なロジックです。
アドルノが「理性が自己目的化して冷徹な管理システム(野蛮)になる」と考えたのに対し、カッシーラーは**「合理化の限界に達した時、人間は耐えきれずに、合理的な手段を使って『神話』を召喚する」**と考えました。
この「神話の反乱」について、3つのステップで敷衍します。
1. 合理化による「意味の真空」
近代社会は、科学や法によって徹底的に合理化されました。しかし、合理化が進めば進むほど、世界からは「物語」や「感情的なつながり」が削ぎ落とされます(ウェーバーの言う「脱呪術化」)。
理性の限界: 合理的・科学的思考は「どのように(How)」は説明できても、「なぜ私は苦しいのか」「我々は何者か」という**「意味(Why)」への渇望**を満たせません。
真空状態: 社会不安や経済危機が起きると、合理的な説明は無力化し、人々の心には巨大な「意味の空白」が生じます。
2. 政治技術による「神話の再構築」
カッシーラーが鋭いのは、ここで復活する神話が「素朴な昔話」ではなく、**「最新の合理的技術によって精巧に設計された偽造品」**であると指摘した点です。
技術としての神話: かつての神話は自然発生的な「生」の表現でしたが、現代の神話は政治技術者によって、特定の目的(動員や排除)のために、心理学やメディア戦略を駆使して「製造」されます。
言葉の変質: 言語は「対話や論理の道具」から、特定の感情を強制的に喚起する**「魔術的な呪文」**へと変質させられます。
3. 「神話の反乱」の正体
カッシーラーにとって、高度な合理化社会における野蛮とは、**「最も近代的な『技術』が、最も原始的な『神話』に首輪を繋がれ、その暴力的な先兵となること」**です。
理性のハイジャック: 理性が消えるのではありません。理性が、自らを否定するはずの「神話」を効率的に流通させるための物流システムに成り果てるのです。
反乱の姿: 現代で言えば、高度なアルゴリズム(合理的知性)が、人々の「敵・味方」という原始的な本能(神話)を刺激するフェイクニュースを拡散し、民主主義を壊していくような状態が、まさにカッシーラーの予見した「神話の反乱」です。
アドルノとの対比(最終整理)
| 視点 | アドルノ(理性の暴走) | カッシーラー(神話の反乱) |
| 社会の姿 | 「冷たい野蛮」:システムが人間をモノとして処理し、個性を消し去る。 | 「熱い野蛮」:技術が神話を煽り、人々を非合理な狂熱へと導く。 |
| 野蛮の源 | 理性が支配を徹底しすぎたこと。 | 理性が、神話という情動の力を御せなくなったこと。 |
| 現代の象徴 | 監視カメラ、格付けスコア、官僚制。 | プロパガンダ、陰謀論、カリスマ待望。 |
結論
カッシーラーにとって、合理化された社会は「神話」を克服したのではなく、皮肉にも神話が暴れるための「最も効率的な舞台」を用意してしまったのです。
アドルノが「合理的なシステムそのもの」を警戒したのに対し、カッシーラーは「合理的な手段によって、心の深淵にある魔物が組織的に呼び出されること」を最大級の野蛮として告発しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿