2025年12月22日月曜日

ちょっと強引な仮説

 高市内閣の支持率が相変わらず高い。

以前、日経新聞の「やさしい経済学」で、一例として、アマゾンの商品レビューが、高評価と低評価に2極化していて、中間的な評価は、相対的に少ないのはなぜか?という論考があった。

そのコラムによれば、レビューを敢えて投稿したいのは、高評価にしても低評価にしても、「敢えて」投稿したい人がレビューを投稿するから、中間的な感想を抱いたカスタマーは、わざわざレビューを投稿しないからだと。

自分は、スマホに世論調査を名乗る電話が掛かって来たとしても、詐欺の可能性を疑って、まず出ないし、出たとしても、一度も回答したことはない。

つまり、どういうことかというと、高市内閣(あるいは高市首相個人(?))を「高く評価する人」は、敢えて世論調査に回答しているし、「低く評価する人」も回答するが、「中間的な評価」をする人は、そもそも回答しない可能性があるのではないか?

従って、ニュースで、高市内閣の支持率が高い、と報道されても、あんまり真に受けすぎないほうが良いのではないか?

もちろん、「高い評価」をする人がたくさんいるのも事実だろうが、だいたいどんな時でも、中間的なあいまいな評価の人は多いものだろう。



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 高市内閣の支持率が相変わらず高い。 以前、日経新聞の「やさしい経済学」で、一例として、アマゾンの商品レビューが、高評価と低評価に2極化していて、中間的な評価は、相対的に少ないのはなぜか?という論考があった。 そのコラムによれば、レビューを敢えて投稿したいのは、高評価にしても低評...