若かりし頃

 ふと思い出したので、書いておこう。

中年になると、いちおうシャバで暮らしている人は、いちおう仕事なりなんなりで毎日忙しく、うまくいけば家庭も持てる。

でも、若かった頃のことは、忘れている。

あるいは、忘れたことにしている。

大抵は、後者かも知れない。

思春期というのは、とにかく「こころを通わせられる存在」を見つけることを、まず第一に考える時期なんだろう、と今からすると、思う。

そこで、そういう「こころを通わせられる存在」を見つけられたら、その人はその後とても強い気持ちで人生を生きていけるだろう。

それはとてもとても大事なことだ。

(もちろん、それが出来なかった人もいる。悲しい現実だ。それはいつの時代も変わらない事かもしれない。)

我が身を振り返ってみても、中高一貫の中学(佐野日大中)から、別の中高一貫の高校(私立武蔵高)に環境が激変して、とても苦労した。

家庭環境も極めて難しかった。

けっこう危ない橋をわたったと思う。

しかし、「こころを通わせられる存在」(⇐もしかしたら自分で勝手に思っているだけかも知れない)を見つけられたからこそ、その後の苦労続きの人生を乗り越えられたんだと思う。

青臭く感じられるかも知れないが、若ければ若いなりの難しさが、ある。



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