なあ〜んだ、結局ポピュリズムか。 日経新聞「経済教室」2025/8/27 堀江孝司 東京都立大学教授 寄稿

「大衆迎合主義」とも訳されるポピュリズムは、語源的にはピープル主義といったほどの意味であり、誰が「敵」かを名指し、その敵から害を被っている人びとをピープルとしてまとめ、自らをその代表に位置づける。ということのようだ。

アメリカでの調査でも、多数派のなかに、少数派や弱者とされてきた集団によって何かを「剥奪」されたという感覚がある、という。

具体的には、ポリティカル・コレクトネスやアファーマティブ・アクションへの反感として、ある種の政策を「優遇」や「逆差別」とし、多数派こそ差別されているという主張が台頭した、とある。

日本における先の参院選でも、物価高対策が争点だったはずが、いつの間にか「日本人ファースト」対「外国人優遇」にすり替わった。

しかし、日本では従来、ポピュリズムのコンテクストで語られてきたのは、「納税者」対「税金で食べている人」という構造だったそうだ。

その意味では、自分のように障害年金を受給しているような人間も、いつかは「敵」認定される危険性がある、というわけだ。

驚いたのは、確か去年だったか、郡山女子大学での行政法の面接授業の折、2日間の講義がほぼ終わり、軽い議論のような場面で、それまで一切沈黙を貫いていた若い女性が、それも1人のみならず、生活保護受給者を敵視する発言をしたことだった。

思うに、さすがに法制度として確立されている社会保障制度を真正面から否定しても、なかなか支持を得られるものではない、つまり票に結びつかないから、結局は尻すぼみになるのだろうが、「外国人」は、そもそも参政権を与えられていないし、わかりやすい「敵」としてやり玉に挙げるのは、有権者にとっても心理的ハードルが低かったのではないか。

つまり、現実に問題なのは、「外国人優遇」ではなく、そういった「敵」認定にやすやすとハマり、安易な二項対立に陥る日本の選挙の意識のあり方それ自体と言えるだろう。

その手口は、去年の七夕都知事選で、石丸伸二氏が躍進したやり口と、さほど距離がないように思われる。

「敵」を設定するのは効果的に見えるが、すべてが成功するわけではない。外国人規制を掲げる党が増え、それを争点だと考える有権者が増えるほど、イシュー・オーナーシップ(その政策を得意としているという評判)をもつ参政党が伸びた可能性がある。(5,6段目より引用)

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