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8月, 2024の投稿を表示しています

不胎化されたレポートその6 (再掲)

現代日本の状況を、社会契約論と「詐欺」という観点から考察する。徹底的に合理化された現代日本社会では、「詐欺」の可能性が社会の破れ(解放)の可能性を秘めていると同時に、社会を崩壊させる危険性をも孕んでいる。回転すし店で イタズラ行為を 動画に撮って ツイッターに あげて 騒ぎになった 人物が、 叩かれたりする。 しかし、 その正体を 暴いてみれば、 取るに足らない、 他愛もない 人物だったりする。 いわゆる、 トー横民だったり、 ドン横民だったり、 グリコ下だったり。 彼らは、 そういう 寄る辺なき 辺境をさまよう 「貧者」であったりする。 そういう「貧者」に、 過酷な 制裁を 加えたところで、 更正するどころか、 ひろゆき氏が いう、 喪うものがない 「無敵の人」と なってしまうだろう。 社会が 喪うものがない 「無敵の人」で 溢れてしまったら、 社会は崩壊する。 社会契約論を 持ち出しても、 その前提には その 社会契約を 守る、 という 暗黙の前提があるが、 その 前提すらも 守らなかったら、 暗黙の前提を守る、 という 合理性の 無限遡行が 起きるからだ。 つまり、 ランドル・コリンズが 言うように、 我々は 完全には 合理的には 生きておらず、 社会が成り立っているという こと自体が、 人々が 多少なりとも 非合理的に 生きている 証拠だ、 ということが 言える。 しかし、 人々が 自らの 非合理性に 気づかず、 ありもしない 「合理的な社会」を 生きていると 思い込んでいるとすれば、 それは 「合理的な社会」よりも さらに 生きにくい社会 とは 言えないだろうか。 各人が 自分の 手前勝手な 「合理性」を 相手に押し付け、 違犯するものを 糾弾する。 それは とても 生きにくい社会だろう。 ポピュリズム政党の台頭は、 そんな 生きにくい社会の 実体の 現れである かもしれない。 合理性と信用 という 語彙は、 一見 よく馴染むように 見える。 しかし、 社会が 合理的に 組織されれば されるほど、 詐欺が 必然的に 起きる。 なぜなら、 合理性が 追求された 社会においては、 相手を 欺くことが 合理的自己の 利得に なるからである。 もし 社会の構成員が すべて 合理的であれば、 お互いが お互いを 欺く 疑念に駆られ、 決して 組織化された 社会を 形...

教養のヘーゲル (再掲)

ヘーゲルが、国家と (市民)社会とを 区別して捉えたことが、 国家論の歴史において 画期的な意味を持つことである ということは すでに指摘した通りである。 その 国家と社会の分離の理由として、 ヘーゲルは、 市民社会には、 国家のはたすような 真の普遍を支える 能力がないから ということをあげる。 そこで、 市民社会の 私的利害に対応する だけのものである 「契約」 という概念によって、 国家の成立原理を説明する 「社会契約説」 に 厳しい批判を 浴びせることともなった。 しかし、 それだけではないはずである。 というのも、 国家と市民社会の 分離の把握 ということは、 市民社会が、 相対的にではあっても 国家から独立した 存在であることの 指摘でも あるはずだからである。 近代国家においては、 プラトンが掲げた 理想国家におけるのとは異なって、 国家が 個人の職業選択に 干渉したりはしないし、 その他の 個人の私生活に 干渉したりはしない。 同様に、 国家が 市場原理を 廃絶あるいは抑圧するような こともない。 そのように、 市民社会が 自分独自の原則に したがって存在し、 機能していることが 尊重されている ということが、 近代における 個人の解放という 観点から見て、 重要なことである はずなのである。 それは、 ヘーゲル流の表現にしたがうならば、 一方では、 近代国家なり、近代社会なりが 「客観的必然性」 によって 構成された 体制であったとしても、 他方では、 個人の 恣意や偶然を 媒介として 成り立つにいたった 体制だからだ ということになる。 (p.103)  (中略)   近代国家の原理は、 主観性の原理が みずからを 人格的特殊性の自立的極に まで 完成することを 許すと同時に、 この 主観性の原理を 実体的統一につれ戻し、 こうして 主観性の原理 そのもののうちに この統一を 保持するという 驚嘆すべき 強さと深さを もつのである。 【260節】  (中略)  国家が、 有機体として 高度に 分節化されるとともに、 組織化されているが...

政治学へのいざない (再掲)

問われるべき問題は いかにしたら、 このようにして発達した、 所有権のような 個人の権利の意識が、 社会全体への奉仕と 一体になることで、 より 理性的で 自由な意識へと 陶冶されるかだ、 とヘーゲルは考えた。 そして、 権利と義務が衝突せず、 私的な利益と 公的な利益が 一致するような 人間共同体が形成されるならば、 その共同体のメンバーの幸福を みずからの幸福と感じ、 法や制度に従うことは 自己の欲望の否定ではなく、 自己の 理性的な本性の肯定であると 考えるような市民が 生まれると主張したのである。 国家こそ、 このような倫理的共同体における 最高次のものだと ヘーゲルは考えた。 (放送大学「政治学へのいざない」211頁より)

日銀はいつまで相場を騙せるかー補訂 (再掲)

円安が進んでますね。 植田日銀が、YCCからの脱却を示唆するとかでない限り、 日銀は利上げする気がないと思われたら、 円安が止まらなくなる可能性がある。 それは、見方を変えれば、 N個の政策課題に対して、N-1個の政策手段しか持っていないんだから、 もぐら叩きのように どこかで必ず弱点が出てくる。 実務のことはよくわからないが、 YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があるので、 オーストラリア中銀のように、経済が大変な混乱を来すと、 東短リサーチの加藤出さんなどは主張している。 これも、大規模金融緩和の失敗を示している。 (以下 日経新聞 2023/5/19 経済教室より 《加藤出氏寄稿》 ) 間もなく出口政策が 始まると 市場が予想したら、 ターゲットを変更するまで 中銀は 国債を無制限に買い支えなければ ならず、 自身の バランスシートを制御できなくなる。  (以下 Chat-GPTの回答) 円安に関するお話ですね。円安が進行する場合、植田日銀がYCC(イールドカーブコントロール)からの脱却を示唆しない限り、日銀は利上げする意向がないと思われます。その結果、円安が止まらなくなる可能性があります。この状況は、政策課題がN個ある場合に、N-1個しか政策手段を持っていないため、どこかで弱点が現れるということを意味しています。 YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があります。加藤出氏など一部の専門家は、オーストラリア中銀のように経済が大きな混乱を引き起こす可能性があると主張しています。これは、大規模な金融緩和策の失敗を指摘しているとも言えます。 また、出口政策が市場予想より早く始まると、中銀は国債を無制限に買い支える必要があり、自身のバランスシートを制御できなくなる可能性があります。  (以下 google bard より回答) はい、円安が進んでいますね。 植田日銀総裁は、YCC(イールドカーブコントロール)の堅持を明言しており、利上げを実施する意向はないとみられています。そのため、円安が止まらない可能性があるという指摘は、正しいと言えるでしょう。 YCCとは、国債の利回りを一定に抑えることで、金融緩和を継続する政策です。しかし、この政策は、金利差拡大による円安を招くというデメリットがあります。 YCCから脱却するには、市場を欺き続ける必要があると指摘...

生成AIに聞いてみた。

質問: 日銀が、政策金利を0.25%引き上げましたが、このまま金利の上昇が続くと、金融機関による貸し剥がしで住宅ローン難民が現れ、その結果消費が著しく停滞し、金融機関も不良債権を抱えて、日本経済が深刻な不況に陥る危険性はないでしょうか?   Google Gemini より回答: 日銀による政策金利の引き上げは、日本経済に様々な影響を与える可能性があり、ご懸念されているような事態も起こり得るという点で、非常に重要な問題提起です。 金利上昇による影響と懸念点 住宅ローン難民の発生: 金利上昇により、住宅ローンの返済額が増加し、家計の負担が重くなります。特に変動金利の住宅ローンを利用している人にとっては、金利上昇の影響を大きく受け、返済が困難になる可能性があります。 消費の停滞: 住宅ローンだけでなく、他のローンや借入金利も上昇するため、消費者の可処分所得が減少し、消費が抑制される可能性があります。 企業の資金調達コストの上昇: 企業にとっても、資金調達コストの上昇は大きな負担となります。特に中小企業は、資金調達のハードルが高まり、投資や雇用を抑制せざるを得ない状況に追い込まれる可能性があります。 金融機関の不良債権問題: 借入者の返済が滞り、金融機関の不良債権が増加する可能性があります。 日本経済の深刻な不況: 上記のような問題が複合的に作用し、日本経済が深刻な不況に陥るリスクも否定できません。 一方で、日銀が金利を引き上げる背景には、以下の様な理由が考えられます。 インフレ抑制: 世界的なインフレが続くなか、日本でも物価上昇が続いており、これを抑制するために金利を引き上げる必要があると判断した可能性があります。 円安対策: 円安が進み、輸入物価が上昇することで、インフレに拍車がかかる懸念があるため、金利を引き上げることで円高に誘導し、インフレを抑え込もうとしている可能性があります。 今後の見通し 日銀は、今回の利上げ後も、経済状況や物価動向を注視しながら、今後の金融政策を決定していくと考えられます。金利の上昇がどの程度続くのか、そして、それが日本経済にどのような影響を与えるのかは、現時点では予測が難しい状況です。 対策 政府や日銀は、金利上昇による影響を最小限に抑えるため、以下の様な対策を検討する必要があります。 住宅ローン借入者の支援: 返済が困難...

黄色信号 (再掲)

円安が進んでますね。 イエレンさんが、投機的な動きがある、と発言していました。 つまり、投機筋が、 円売りを仕掛ている。 なぜ円売りを仕掛ているかというと、 自国通貨が売られて通貨安になれば、 常識的には、中央銀行は、利上げをして自国通貨高に誘導しようとする。 日本に当てはめると、 日銀がイールドカーブコントロールという、馬鹿げた政策によって、 中央銀行は本来、短期金利しかコントロールできないとされているのに、 長期国債を無制限に買い入れて、 無理やり長期金利を抑え込んでいる。 つまり、日本国債の価格が異常に高い。 (裏を返せば、日本国債の利回りが異常に低い。) 投機筋は、円を売れば、 日銀は過度な円安を修正するために、 政策金利を上げざるを得ないと読んでいる。 それだけでなく、投機筋は、 日本国債売りも同時に仕掛けています。 そうすると、日銀は、金利上昇抑制のために、日本国債買い入れを余儀なくされる。 そうすると、市場に円が供給されるので、 結果、円安がますます進行する、という悪循環に陥っています。 まあ、はっきり言って自業自得としか言いようがないですが、 政府・日銀は、 日本国債を買い入れつつ、外貨準備を使って円買い介入をする、という 矛盾したことやろうとしています。 なぜ矛盾しているかというと、 国際金融のトリレンマに従えば、 「資本移動の自由」 「為替の安定」 「金融政策の独立性」 の3つは、同時にすべてを達成することは出来ないからです。 資本移動の自由は犠牲にすることは出来ません。 従って、 為替の安定と金融政策の独立性のどちらかを犠牲にせざるを得ないわけですが、 金融政策の独立性を保持するとすれば、 外貨準備を使って為替介入しなければ、 自国通貨は安定しないのです。 日銀・政府は、 大規模金融緩和を継続する一方で、為替介入をする、という”矛盾した”政策を行っているわけです。 投機筋もこれは完全に計算のうえでやっていますが、 問題は、結局のところ 日銀がどこまで無謀な大規模金融緩和を続けるか、ということです。 大規模金融緩和を続ける限り、 日銀のバランスシートに日本国債がたまり続けるだけで、 金利は上がりませんから、 今までは一般人も痛みを感じなかったので、 非難の声が上がりませんでしたが、 円安が急速に進んで、消費者物価まで上昇し始めると、 消費者からも...