2024年6月20日木曜日
不胎化されたレポートその4
第4節:日本の<近代化>の歴史的起源にあるのは、ロシアの脅威である。また、ロシアのいわゆる南下政策とその失敗は、ヨーロッパ大陸の情勢にも大きな影響を与えた。ここでは、日本の<近代化>を考察する上で、ロシアと日本の連関を念頭に置きながら、一旦歴史の流れに目を向ける。ロシアの南下政策の挫折と、その後の東方進出は、日本に対する脅威として現れた。クリミア戦争(1853年-1856年)とそれに続く露土戦争(1877年-1878年)など一連の出来事を教訓として、ロシアは不凍港を求めて東アジアへの進出を志向し、清朝といくつかの条約を結びながら、国境を確定させ、ユーラシア大陸を東へと進んだ。 太平天国の乱(1850年-1864年)で、列強が撤退した後もロシアは軍隊を駐留させたために、列強の警戒心を惹起するとともに、日本との緊張関係が生まれた。さらには、東清鉄道敷設権の権益を巡り、中国東北部の利権を狙う日本との緊張関係が深化した。 1894年に日清戦争が勃発し、日本が勝利すると、日本は朝鮮半島と台湾を獲得した。この結果、ロシアと日本は朝鮮半島と中国東北部で直接対峙するようになった。 インドを植民地とするイギリスはロシアの南下政策に脅威を感じ、1902年に日英同盟を締結する。この同盟は、ロシアの東アジア進出を牽制する狙いがあった。 1904年、日露戦争が勃発し、日本が勝利すると、ロシアは一時的に東アジアでのプレゼンスを低下させた。しかし、ロシアが革命によりソビエトを結成すると、日本は機会主義的な対ソビエト干渉を続け、中国東北部への進出を深めた。 1920年、尼港事件が発生し、日本とソビエト軍が衝突した。また、1925年には、大陸への野心からシベリア出兵を実施し、中国東北部への進出を図った。大正期における日本の大陸進出の動きは、ソ連の革命政権に対する機会主義的な野心の現れであったと言えよう。 一方、ヨーロッパ大陸では、ロシアの野心とドイツの野望との衝突で、バルカン半島での汎ゲルマン主義と汎スラブ主義の対立が深刻化し、三国協商と三国同盟の対立が先鋭化し、第一次世界大戦に発展した。1918年に戦争が終結すると、戦勝国はオスマン帝国を分割し、その領土を占領した。この結果、中東情勢は混乱し、現在に至る複雑な状況の遠因となった。 三国協商側に立って第一次世界大戦に参戦した日本は、中国大陸での利権を更に拡張させることを試みたが、欧米列強の警戒心を引き起こした。 1920年代には、日本と欧米列強との国際協調関係が成立したが、日本での金融恐慌の頻発や世界的な金融恐慌が引き金となり、日本が満州国を巡って国連を脱退するなど、アジア大陸への野心を顕にすると、国際協調体制は崩壊した。 スターリン指導による一党独裁体制が確立したソ連はアジア大陸で日本との緊張関係を加速させた。 以上のように、ロシアと日本は、南下政策と東方進出を巡って、19世紀末から20世紀前半にかけて、激しい対立を繰り広げた。この対立は、両国の軍事力増強や軍拡競争を招き、最終的には第二次世界大戦へとつながる大きな要因となった。
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