ルカーチ メモその12

誤解の意味するのは、 我々の 知るとおり、 美的受容者が 作品体験において 作品の 「真の」 内容を 受け入れる ことでもなければ、 作品の 内的構造を 見通す というような ことでもない。 そうではなく、 受容者自身の 体験のもつ 諸要因は、 原理的に 伝達不可能で 比較できない 性質であるが、 そのような 体験の要因から、 ひとつの 閉じた世界が 生ずる、 そして これを 受容者が作品として、 すなわち 自分から独立した ものとして 体験する、 このことである。 この作品は、 受容者には 意識されない 仕方で、 彼固有の 体験内容と 彼固有の 体験の質を もっている。 そこで、 この作品は 受容者にとっては、 自分にこそ 対応した、 そして 自分をこそ 充足させてくれる、 そんな ユートピア的現実を 意味する。 157ページ

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