2023年8月12日土曜日

ルカーチ メモその22

ギリシア悲劇の場合のような <悲劇的> な世界では、 人間は有無を言う余地も ないままに 運命に 盲従せざるを得ない。 だが、 そうした <悲劇> とは、 はたして本当に 人間の存在を究極的に 表したものなのだろうか、 というのが、 そのときの ルカーチの 問いかけだった。  これは、 文学ジャンルという 枠内で問題は 立てられてはいるものの、 その裏には、 近代資本主義社会の <運命的な力> に対する 考察もが 介在していたと 推定することは、 あながち 不自然ではないだろう。 というのも、 まさにこの点が マックス・ヴェーバーの ヨーロッパ近代の 考察の中心点でもあり、 ルカーチ自身その 影響下で 『近代戯曲発展史』 などにおいて、 <物象化 Versachlichung> 過程として それを 描いていたのだから。 そうした点を 踏まえてみるならば、 彼の <悲劇>論にも また 違う 光が当たる というものだ。 199ページ

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