ルカーチ メモその22
ギリシア悲劇の場合のような
<悲劇的>
な世界では、
人間は有無を言う余地も
ないままに
運命に
盲従せざるを得ない。
だが、
そうした
<悲劇>
とは、
はたして本当に
人間の存在を究極的に
表したものなのだろうか、
というのが、
そのときの
ルカーチの
問いかけだった。
これは、
文学ジャンルという
枠内で問題は
立てられてはいるものの、
その裏には、
近代資本主義社会の
<運命的な力>
に対する
考察もが
介在していたと
推定することは、
あながち
不自然ではないだろう。
というのも、
まさにこの点が
マックス・ヴェーバーの
ヨーロッパ近代の
考察の中心点でもあり、
ルカーチ自身その
影響下で
『近代戯曲発展史』
などにおいて、
<物象化
Versachlichung>
過程として
それを
描いていたのだから。
そうした点を
踏まえてみるならば、
彼の
<悲劇>論にも
また
違う
光が当たる
というものだ。
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