2023年8月12日土曜日

ルカーチ メモその20

一方において <現実の生> にあっては <完全に 成就されるものも なければ、 完全に終了するものもない>、 <真の生へと開花するものは なにもない>、 <常に 否定的な形でしか 書き表すことは できない>。 それに対して 置かれるのが、 神の前で なされる <奇蹟> だった。 <神にとっては、 相対性は 存在しえない。 過渡も微妙な陰翳もない。 神のまなざしは いかなる 出来事からも、 その時間性と 場所性を すべて 奪う。 神の前では 仮象と本質、 現象と理念、 出来事と運命の 差異は 存在しない。 価値と現実という 問題も、 ここでは その意味を失った>。  そしてこうした <偉大な瞬間の 血気に満ちた 直接に体験された 真実> を もたらすのが 悲劇の役割だった。 <それはあくまでも 瞬間である。 それは 生を意味しない。 通常の生とは まったく 相容れず、 それと 対立する 別の生である>。 そこで、 <劇における時間の集中> とは、 <生全体にほかならぬ この瞬間の、 あらゆる 時間性からの 脱却> を 目指したものであると いうことになる。 185ページ

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曽根崎心中 (再掲)

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