それに対して、
どのような芸術作品であれ、
それを
享受する者がおらず、
抽斗なり
密室なりのなかに
人目に触れずに
あるかぎり、
芸術的感動も
なにもあるわけはない。
それにとどまらず、
制作者は作品が
どのように
受け入れられるのかを
先取りしている
場合もあろうし、
同じ作品が
時代によって
まったく
違った
評価を受ける
こともある。
どこに力点を
置くかはともかく、
作品が人によって
鑑賞され
受け入れられる、
という
側面に着眼した
<受容美学>
というものも、
他方で考えられる。
しかし
ルカーチの端緒は、
このいずれにも
つかないところで
開かれる。
つまり、
彼の考える
<美学体系>
にとって、
芸術作品の生産者、
あるいは
受容者といった
人間主体は
括弧に入れ、
芸術作品が
現に
そこにある、
という事実性を
出発点に据えるべき
ものである、
ということだ。
この発想の裏には、
『魂と形式』
に
即して
<形式>
概念としてみたのと
同様な発想、
つまり、
現実の生は
疎外されているが、
美の領域は
その汚染から
免れた
自立的な
価値領域として
存しうる、
という
考えがあった。
そのときすでに、
作品を
<生の客観化>、
<体験の表現>
と
捉え、
その理解、
追体験が受容者の態度、
と
考える
ディルタイ流の把握からは
すっかり脱している。
<体験>
と
直結させて
考えるには
作品はあまりにも
自律化し、
それ自体の
<生>
を
獲得している
からだ。
154~155ページ
1. 序論:『それから』に映し出される明治期の近代化 本稿は、夏目漱石の小説『それから』を題材に、日本の近代化がもたらした状況と、それが個人の経験に与えた影響について考察するものである。特に、経済的豊かさが生み出す「自家特有の世界」への耽溺と、それが最終的に経済の論理に絡め取られていく過程、そしてテオドール・W・アドルノが指摘する、社会の合理化と精神世界における非合理への慰めを求める人々の傾向を、作品を通して分析する。 日本の明治時代(1868-1912年)は、長きにわたる鎖国状態を経て、1853年の黒船来航を契機に世界と対峙し、驚くべき速度で西洋の制度や文化を取り入れ、「近代国家」への道を歩んだ画期的な時代である 。この時期には、鉄道、郵便局、小学校、電気、博物館、図書館、銀行、病院、ホテルといった現代の基盤となるインフラや制度が次々と整備された 。政府は「富国強兵」や「殖産興業」といった政策を推進し、工場、兵舎、鉄道駅舎などの建設を奨励した。また、廃藩置県や憲法制定といった統治制度の変更に伴い、官庁舎や裁判所、監獄などが建設され、教育制度の導入は学校や博物館の整備を促した 。 西洋化の影響は日常生活にも深く浸透した。住宅様式においては、外国人居留地を起点に西洋館が普及し、やがて庶民の住宅にも椅子式の生活スタイルが段階的に浸透した 。食文化においても、仏教の影響で長らく禁じられていた肉食が解禁され、西洋列強との競争意識から日本人の体格向上と体力増強が期待された 。洋食は都市部の富裕層を中心に広まり、カレーライスやオムライス、ハヤシライスといった日本独自の洋食が定着した 。大正ロマン期(1912-1926年)には、西洋文化と日本独自の文化が融合し、「モガ」や「モボ」と呼ばれる若者たちが洋装に身を包み、カフェで音楽や映画を楽しむ「自由でおしゃれな空気」が醸成された 。経済面では、明治後期から軽工業が発展し、日露戦争前後には鉄鋼や船舶などの重工業が急速に発展し、日本の近代化を加速させた 。第一次世界大戦期には工業生産が飛躍的に増大し、輸出が輸入を上回る好景気を享受した 。 『それから』(1909年発表)は、夏目漱石の「前期三部作」の二作目にあたり、急速な近代化が進む日本を背景に、個人の欲望と社会規範の...
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