2023年8月12日土曜日

ルカーチ メモその6

・・・これに対してAは、 Bの見解のなかで 欠如している <超越論的なもの> を 導入しようとする。 人間の尺度が 我々人間自身にとって 息苦しく 狭すぎるように 感じられるとき、 人間は 空気をいれようと 自らを開くよう 余儀なくされる。 そのようにして 我々は、 <いつの日か来るべき 偉大なる 綜合 (ジンテーゼ) のための 盲目なる 奴隷の労務> に 就くのだという。 (中略) 我々は さまざまに 問いを立て、 目の前にある 完結しているかに 見える <作品> に ほころび、切断を いれる。 これを Aは <永遠に 究極の 一歩手前に いる者> の <殉教> と称する。 そうすることによって <現世の時間に つながれたものを 永遠のものと 関係づける>、 すなわち、 生の不完全性、 断片性に とどまるにも かかわらず、 いや、 むしろ そこに とどまることによってこそ、 彼方に 完全無欠なる なにものかを 呼び出そうという 衝迫が 語られている。 127ページ

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