ルカーチ メモその6
・・・これに対してAは、
Bの見解のなかで
欠如している
<超越論的なもの>
を
導入しようとする。
人間の尺度が
我々人間自身にとって
息苦しく
狭すぎるように
感じられるとき、
人間は
空気をいれようと
自らを開くよう
余儀なくされる。
そのようにして
我々は、
<いつの日か来るべき
偉大なる
綜合
(ジンテーゼ)
のための
盲目なる
奴隷の労務>
に
就くのだという。
(中略)
我々は
さまざまに
問いを立て、
目の前にある
完結しているかに
見える
<作品>
に
ほころび、切断を
いれる。
これを
Aは
<永遠に
究極の
一歩手前に
いる者>
の
<殉教>
と称する。
そうすることによって
<現世の時間に
つながれたものを
永遠のものと
関係づける>、
すなわち、
生の不完全性、
断片性に
とどまるにも
かかわらず、
いや、
むしろ
そこに
とどまることによってこそ、
彼方に
完全無欠なる
なにものかを
呼び出そうという
衝迫が
語られている。
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