八戸サテライトでの授業で触れられなかった部分を、資料を見ながらまとめてみました。
☆中世後期という時代(1)
・新しい思想的傾向の出現。ウィリアム・オッカムの唯名論
・ローマ教皇の権威の衰退。教皇の「アヴィニョン捕囚」
☆中世後期という時代(2)
・教会秩序を揺るがす異端者の出現。イギリスのウィクリフやボヘミアのフス。
☆オッカムの唯名論(1)、(2)
・普遍概念の実在を否定し、普遍概念は個物の集合につけられた名前にすぎないという「唯名論」を主張した。
・唯名論は、普遍概念の実在を否定するので、個人のみが実在するという個人主義や、個物の観察を重んじる経験科学の流れに繋がってゆく。
☆トマス・アクィナス対ウィリアム・オッカム(1)
・トマス・アクィナスは、神の知性の働きが、その意思の働きに優位するとし、神が或ることを欲するのは、それが善であることを知性で理解しているからだとした。つまり、神の意思は、その知性において成立している客観的な善悪に矛盾したことはなしえないとした。
・人間の理性はそうした神の知性にある客観的な善悪に、人間本性の内に働く「自然法」を通じて与ることができるので、人間にとっても客観的善悪に基づく普遍的倫理が存在することになる。
☆トマス・アクィナス対ウィリアム・オッカム(2)
・これに対して、オッカムは神の意思の働きが、その知性の働きに優位するとし、神の意思が欲することはそれが何であれ、善であるとした。(イサクを神に捧げるアブラハム)
・つまり、神の知性に由来する客観的な善悪などは人間にとっても存在しないことになり、ただ自分が「意志する」かどうかが重要になる。⇛トマス・ホッブズの個人主義などに繋がった。
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