☆中世後期という時代(1)
・新しい思想的傾向の出現。ウィリアム・オッカムの唯名論
・ローマ教皇の権威の衰退。教皇の「アヴィニョン捕囚」
☆中世後期という時代(2)
・教会秩序を揺るがす異端者の出現。イギリスのウィクリフやボヘミアのフス。
☆オッカムの唯名論(1)、(2)
・普遍概念の実在を否定し、普遍概念は個物の集合につけられた名前にすぎないという「唯名論」を主張した。
・唯名論は、普遍概念の実在を否定するので、個人のみが実在するという個人主義や、個物の観察を重んじる経験科学の流れに繋がってゆく。
☆トマス・アクィナス対ウィリアム・オッカム(1)
・トマス・アクィナスは、神の知性の働きが、その意思の働きに優位するとし、神が或ることを欲するのは、それが善であることを知性で理解しているからだとした。つまり、神の意思は、その知性において成立している客観的な善悪に矛盾したことはなしえないとした。
・人間の理性はそうした神の知性にある客観的な善悪に、人間本性の内に働く「自然法」を通じて与ることができるので、人間にとっても客観的善悪に基づく普遍的倫理が存在することになる。
☆トマス・アクィナス対ウィリアム・オッカム(2)
・これに対して、オッカムは神の意思の働きが、その知性の働きに優位するとし、神の意思が欲することはそれが何であれ、善であるとした。(イサクを神に捧げるアブラハム)
・つまり、神の知性に由来する客観的な善悪などは人間にとっても存在しないことになり、ただ自分が「意志する」かどうかが重要になる。⇛トマス・ホッブズの個人主義などに繋がった。
日本の家計国際投資、財政、経常収支の相互関係に関する深掘り分析 I. はじめに:日本のマクロ経済構造における家計国際投資、財政、経常収支の相互関係 本レポートの目的と分析の視点 本レポートは、日本の家計による国際投資の動向が、国の財政の持続可能性および経常収支に与える影響について、マクロ経済の視点から深く掘り下げて分析することを目的としています。特に、「経常収支が黒字であっても、それが直ちに政府の財政赤字をファイナンスできるとは限らない」という問いに対し、国際収支の構造と国内の貯蓄・投資バランスの恒等式を用いて多角的に考察します。分析の視点としては、国際収支統計の基礎概念から、家計の金融資産構成、海外投資の要因、それが国債市場に与える影響、そして政府の政策的対応までを網羅し、これらの要素間の複雑な相互作用を解明します。 国際収支統計の基礎概念と恒等式 国際収支統計は、ある国が外国との間で行った財貨、サービス、証券等のあらゆる経済取引と、それに伴う決済資金の流れを体系的に把握、記録した統計であり、「一国の対外的な家計簿」とも称されます 。日本銀行が財務大臣の委任を受けて企業や個人から提出された各種データを集計し、統計を作成・公表しており、その作成基準はIMFの国際収支マニュアル(BPM)に準拠しています 。 国際収支は、主に経常収支、資本移転等収支、金融収支、そして誤差脱漏の4つの主要項目で構成され、これらの合計は常にゼロとなる恒等式が成り立ちます 。この恒等式は、「経常収支+資本移転等収支-金融収支+誤差脱漏=0」と表され、経常収支と金融収支が「裏表」の関係にあることを示唆しています 。 国際収支の恒等式が常にゼロになるという事実は、単なる会計上の整合性以上の経済的な必然性を有します。これは、一国が海外との間でモノやサービスを売買したり、資金をやり取りしたりする際に、必ず対価の資金フローが伴うという経済原則を反映しています。経常収支の黒字は、その国が海外に対してモノやサービスを純輸出し、その対価として海外からの資金流入、または対外資産の増加を意味します。この資金流入は、国内の資金需要を満たすか、あるいは海外への投資(金融収支の赤字、すなわち対外資産の増加)に振り向けられるかのいずれかとなります。したがって、経常収支の黒字...
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