2022年9月22日木曜日

思想史講義【大正編】 ちくま新書

天皇機関説事件だけど、 穂積・上杉説 にしても、 美濃部説、 ひいては 現在の憲法学のように、 国家の実存を感じられないような 漠然とした理論よりも、 「国体」なんていう概念的なものじゃなくて、 みんなで天皇をワッショイワッショイして、 まるでお祭りのように、 日本という国が、 まさに ここにあるじゃないか! という「実感」を 伴った理論のほうが、 パンピーにはウケる、 というのも、 現在の日本人に照らしても、 わかりやすい。 この「実感」を 伴った国家観は、 ヘーゲル主義とも親和的に感じられる。 美濃部説と親和性の強い 現在の憲法学では、 日本という国家を実態として 感じる、ということはないだろう。 アリストテレスの「善き市民として生きる」という 発想にしても、 それは 古代ギリシャ都市としての国家観であり、 現代の日本人は、 やはり なんとなく ハッキリしない もやもやした 日常の中を生きる以外ないのだろう。 その中で、 勝ち組だの負け組だの、 社会化された人間の、 原始的な欲求を日々満たしながら、 人生を送らざるを得ないのかも知れない。

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