2022年5月4日水曜日
「それから」論
多くの東京市民は、こうした嫌悪すべき「目下の日本」に生きている。「平岡もその一人であった」と言う。ここで働いているのは、代助の美意識である。代助のこうした感性は、いったい何を基準として生まれるのだろうか。それは明治の一代目である父の家、すなわち青山にある代助の実家をおいてほかにはない。代助の感性には、まちがいなく長井家の財産(アレントが言う意味での財産)が組み込まれている。代助の審美眼は、長井家が近代という時代に合わせて形作ったハビトゥスだったのだ。若き日の代助が三千代の趣味の教育形だったことを考えれば、代助を誘う三千代のやり方も長井家の財産が育てたのである。それが「家」に関わって「孤立感」を語った理由だろう。これはほんの一例にすぎない。代助は、彼と同じ階層に属する「明治の二代目」とつき合ってもいないようだ。だとすれば、先に引用した一節にある「誰に逢っても」の「誰」には、おそらく「明治の二代目」は含まれていない。明治の一代目から引き継いだ「ブルジョワジー」としての階層意識は、代助にしっかり内面化されているのだ。しかし、代助自身はそれを高級な美意識の持ち主としては意識しているが、階層意識としては十分に意識していないようだ。言い換えれば、代助の高級な美意識が、内面化された階級意識に目隠しをしているのである。(漱石と日本の近代(上) 228ページ 新潮社 石原千秋)
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