2022年5月1日日曜日
メモ
ある共同体において、共通の神を信じているということが、その成員を共通の成員として成り立たしめるのであれば、その共同体の外部に存在する異質な存在と、その共同体を繋ぐのが、貨幣である。なぜなら、貨幣はある共同体においても、その外部においても通用する、包含関係における共通要素だからである。(荻野昌弘)だからこそ、貨幣は経済の相互依存を通して平和をもたらす可能性を秘めている。(デービッド・ヒューム)しかし、貨幣は、ある社会における間主観性(フッサール)を、他の社会にも押し付ける、侵食するような暴力性も秘めている。ある社会における間主観性とは、例えばミカンをある集合とみなせば、その要素、つまりその集合の要素としての一つ一つのミカンは、何千個、何万個あっても、すべて一つずつミカンとして数えることになる。これは、物心のついていない子供や、狂人以外ならば、その社会の決まりごととして受け入れられるからだ。その一つ一つの計量可能性が、理性の暴力的な側面として現れる。(アドルノ)理性の働きを物心のついていない子供や、狂人と対比させるならば、「オデュッセイア」において、ポリュペーモスの問いに対しウーティス(何者でもない)と答えるのは、自らの自己同一性を偽る狡知であり、セイレーンの性的誘惑から逃れるのも、また理性の狡知である。つまり、人間の理性の狡知は、複数のアイデンティティーを使い分けたり、性的欲望をコントロールする、といった、現代人が社会において暮らすうえで、必要な能力なのである。しかし、アドルノはその理性の狡知に、自己同一性の揺らぎや性的欲動といった、ニーチェ的欲動との相克を見て取るのである。
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