2022年3月16日水曜日

添削7

第2節 日本に「市民社会」は成立したか? ⑴ ヨーロッパの場合-典型として  言わば<発祥の地>としてカノンに従った典型的な成立の様態を示していることを簡略に説明。   「前近代の地域共同体」は、「市場経済」と「資本主義の発展」によって「徐々に解体」されてゆく   ➡ ∴元の「地域共同体」が「自治体や国家の地域組織」へ転換してゆく中で、    「もろもろの地域集団」は「任意加入」の「任意団体」として「市民社会を構成」することになる。 ⑵ 植民地の場合-イロニカルな成立  「ヨーロッパ列強」の「植民地支配」の下、「植民地政府」が「伝統的な地域集団」とは別個に組織されるため、逆説的に、これら伝統的地域集団は「完全な民間組織」として生き延びることが出来た。 ⑶ そして日本-国家との癒着   ⑴⑵において「国家」と「市民社会」が「相互に独立」しながら共存しているのに対して。  「日本」の特殊事情を、以下をポイントにして、小西氏の論を適宜、「引用」しながら簡略に説明すれば良い。 ◆日本の特殊事情:遅れた近代化は、拙速な国家建設を必要とした。  そのために、「村落共同体」は「市民社会」へと生まれ変わることなく、言わば、そのまま「国家の行政上の末端組織」として(再)利用される-「自治」の「換骨奪胎」(「協力」という美名の下の隷属) ◆明治政府に始まり、「国家」は「地域」の自立性を阻むために様々な手立てを駆使する   ―・松方デフレ政策=自由党員と結びつきがちな「豪農」層を弾圧    ・「地方経営」に資する、地方の「中間支配者」の「官僚化」を促進      ――選挙権を持つことのできない「非選挙民」との差異化     日本社会における地域集団の特質を考える上で前提になるのは、日本における近代国家の成立事情である。近代以前の社会においては、どこの国でも地域共同体がすべての基盤になっていて、地域集団はその下に存在していた。そのような前近代の地域共同体が市場経済と資本主義の発展によって徐々に解体し、近代の国家と市民社会が成立するわけだが、その過程については地域によってさまざまな事情が存在した。ヨーロッパの場合、資本主義はゆっくりと時間をかけて発展したので、地域共同体は解体され、自治体や国家の地域組織へと転換していった。他方、もろもろの地域集団はゆるやかな領域性を残しつつも、基本的には任意加入の組織として市民社会を構成することとなる。他方、ヨーロッパ列強によって植民地支配を受けることになる途上国では、地域共同体を構成する伝統的な地域集団とは別個に植民地政府が行政組織を整備するので、長い間伝統的な地域集団は植民地政府とは無関係な民間組織として存続することになる。 これに対して日本のように植民地化を逃れて自前の新政府が急いで近代国家を建設した国においては、まだ解体しきっていなかった地域共同体と地域集団が、国家の地方自治組織と独特の関係を取り結ぶことになる。すなわちヨーロッパのように市民社会を構成する任意団体でも、途上国のような完全な民間組織とも異なる独特の位置づけをもつようになる。先進国と途上国では、その歴史的経緯は異なるとはいえ、いずれも国家や地方自治体と地域集団は全く別物として相互に独立に存在しているが、日本のような後発国では近代国家の制度を早急に作り上げるために、伝統的な地域集団の協力が求められたり、それを国家が巧みに活用したりということがあって両者が不可分な関係にある。 「都市社会構造論」 p.144~145 放送大学大学院教材 1910年代までには、日本の村落共同体は、明治政府により、国家の行政上の末端組織としてその自治を換骨奪胎された。それは、日清・日露戦争を戦うなかで、国家が総力戦体制を整える上で、意図的になされたものである。明治初期の自由民権運動が過激化するなか、自由党員と豪農との結びつきに脅威を感じた、山県有朋はじめ元老は、特に松方正義のデフレ政策による米価の下落を通じた豪農への攻撃を執拗に行う一方、日露戦争後の、日比谷焼き討ち事件、戦争にともなう徴税額の増加による、選挙民の増加等、国政に、一定の納税を納める余力のあるものの参加が徐々にではあるが、増加していった。 地方の在村有力者は、自発的に運動する非選挙民をも組織して、政治的発言力を増した。都市部における政治の組織化は、農村に比べると遅れたが、それは元老らの社会主義への警戒感が特に強かったためと思われる。 都市部では、山の手の、官吏や、アッパークラスの市民が居住する一方、下町では、個人商店を営む零細企業が、財閥系がカバーしきれない需要を満たし、生活していた。むしろ、財閥系の下方の労働者は、自営の個人商店主になることに対して、憧れを抱いていた、と言われる。 いずれにせよ、松方デフレ以降、寄生地主が誕生し、中には都市で生活をするものが現れる一方、小作農は非選挙民に止まったまま、政治的発言力を持たないままだったと考えられる。むしろ、そのような小作農は、地方名望家の運動員として政治運動に参加することで、豪農の政治的補完的役割を果たしていたと考えられる。 このようにして、村は、しばしばノスタルジーをもって語られがちな独立自営的様相を喪っていった。 「近代」化によって、地方とは統治し経営する対象ではあっても、自治を体現するための場ではなくなった。「地方経営」のため中間支配者を官僚化するには、地域の自立性が障害となる。それゆえ、地方経営は「いかに地方を自立させないようにするか」を制度化するものになる。村と国の関係としては、村が府県や国を支えているのではなく、村や府県が国にぶら下がっている(依存している)状態をイメージすればわかりやすい。そして、現場から事実を積み上げていくのではなく、結論から逆算して物事が決まるということが一般化する時代になった。村々は、形の上では「自治権」を与えられ、自治体と位置づけられたが、自治の余地はほとんどなくなった。 「村の日本近代史」ちくま新書 より

0 件のコメント:

コメントを投稿

イイハラ→メシハラ→メッシ

昔 東京ヤクルトスワローズに 飯原(イイハラ)という選手がいて、 たまたま 神宮球場のバックネット裏で 観戦したことがあるんだが、 飯原選手が バッターで、 強振したときに、 バックネット裏の 観客席まで ブンッ!って スイング音が聞こえたね。 あれはす...