功利主義と分析哲学 放送大学教材より

さて、このように「経験的」ということをとらえると、特徴的な考え方が浮かび上がってくる。二つ指摘しておきたい。  一つは、この意味での「経験的」というあり方を知識や認識に当てはめたとき、知識・認識と実践・行為という二区分がくずれ、認識と実践が融合していくという点である。「知る」ことと「行う」ことが、明確な区別なく連続してとらえられるということである。というのも、「経験的」に「知る」こととは、何かを努力して追求していくことに、すなわち文字どおり努力して何かを行うことにほかならないからである。辞書を引いて知識を得ること、図書館で何かを調べて「知る」に至ること、こうしたことをイメージすれば、「知る」ことが「行う」ことであるという把握はすんなりと受け入れられるだろう。だとすれば、「知る」主体は同時に「行う」主体であることと、つまり行為主体である「人格」(パーソン)が知る主体であること、これも浮かび上がるであろう。

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