道徳感情論

道徳感情論では、人間は、生まれつき、称賛されるべき人間になりたい、愛されるべき人間になりたい、その逆に、憎まれるべき人間にはなりたくない。仮に自分のやっていることが世に知られることはなくとも、と述べているが、そうすると、ネット上に蔓延る罵詈雑言や誹謗中傷はなんなのか?あんなものをせっせと投稿している連中は、称賛されるべきと自ら考えているのだろうか?愛されるべきと?憎まれたくないとは? 思うに、ハンナ・アーレントが「人間の条件」で書いたように、私的領域が、公的領域を呑み込んでしまったために、人々は、活動ではなく、「行動」を行わずにはいられないのだ。 言い換えれば、どうにかして、ひとかどの人物になりたい、という衝動を抑えられないのだ。 しかし、アダム・スミスの時代と違って、公的領域が私的領域に呑み込まれてしまった現代社会においては、誰もが称賛できるような、愛せるような、どんな非難からも免れるような、そんな英雄的行為は、ほとんど不可能になってしまったのだ。

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