2022年3月4日金曜日

デリダと差異

俺:ひとつ気になった点があるのですが、デリダは、〈起源〉の暴力性や、欺瞞を徹底的に暴くところに真骨頂がある、というのが、私の理解です。先生のおっしゃる「ズレ/ズラし」は、むしろドゥルーズっぽい話なのかな?と。私も、ドゥルーズはアンチ・オイディプスの解説書しか読んだことはないのですが。失礼いたしました。 先生:お尋ねの「デリダと差異(ズレ/ズラし)」については、本格的論議は私の手に余るのはもちろん、ご文面にあった<起源>だ<痕跡>だ<暴力>だ、と展開してゆくと計り知れないものになってゆくので、「差異」という語彙にのみ限って、今の私に為し得るレベルの説明を記しておきますね。  よく言われることですが、<デリダの(デリダ的)差異>ということになると、「差延」という言葉の方がより的確にその言わんとするところを指し示してくれると思います。  「差異」は、「AはBである」式の同一性の誇示――形而上学的発想を打破するために、それ故「A」と「B」を「=」で結び、確定してしまうことを阻止するために「ズラ」そうとするところに生れる発想、といえばいいでしょうか。この時、つまり「A」を「B」に同定せず、ズラせるところに発生する「遅れ」――「差異」が孕むこの「時間的遅れ」を含ませた言葉が「差延」である。大体、このあたりが一般的説明になるのでは、と思われます。  原語はフランス語なので全く素人ですが、今、改めて簡単に調べたところ、「差異」の原語はdifférence ですが、これに対して「差延」はdifférance――「差異différence」に「延期」の義を付け足してのデリダの造語です。  たぶん、概説的説明としては、以上で一応、OKかな、と思うのですが。

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フォトギャラリー (再掲) ー追憶の彼方ー

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