2022年3月4日金曜日

但し書き

まず、一読して気になるのは、なぜ章や節で文章を分けないのか?という点かと思われますが、章や節で区切ってしまうと、その区分けされた部分と、全体がどういう関係にあるのか見えにくくなること、また、全体との連関で部分のうちに内蔵された矛盾点が、章立てすることにより隠ぺいされる虞があるため、まずは通読して、なんとなくモチーフが伝われば、まずは成功、という狙いから、そのようにいたしました。 次に、このレポートの前段階にあたる内容で、2つ大きな問題点がありました。まずは、イサク奉献ですが、これはデリダが用いたテーマですが、神の超越性を強調し過ぎると、そこだけブラックホールのようになってしまい、理屈にならない、あるいは理屈を超越している点で、難点があり、関連図書を調べてみても、安易な贈与論が展開されているだけなので、敢えて確率論的に処理しました。ちなみに、この着想は、内田隆三先生の「ロジャー・アクロイドはなぜ殺される? 言語と運命の社会学」(岩波書店)から得たものです。 もう一つの難点は、前半のヘーゲルに関するもので、佐藤康邦先生の入念な気配りにより、ヘーゲルを現代世界にも通じるように膾炙してくれてはいるものの、小生のレポートのなかで、単に引用するだけでは、浮いた箇所になってしまう、という点でした。これは、国家と市民社会という観点から、放送大学大学院の教材を援用しつつも、抽象的なので、自分なりに文章で埋めました。 そもそもの原点としましては、2002年に、慶応大学総合政策学部に入学したのですが、翌年、研究会(ゼミ)で、プレゼンをする機会があり、生協で売っていた経済発展に関する書物を丸パクリしてパワポを作ったのですが、それだけではつまらないと思い、労働からの疎外、という、わかってもいないのにマルクス経済学的な発想を入れ込んで発表したのですが、容赦ない批判にさらされ、当然それに対して応える理解などあるはずもなく、その後、様々な要因が重なり、心身のバランスを崩した結果、休学に追い込まれてしまった経緯があり、とにかく経済学、オーソドックスな意味でも、また(現代)思想的な意味においても、勉強しなければ、という思いを強く持ったものです。 夏目漱石に関しましては、三島で行われた森本先生の面接授業を受けるまでは、まったく興味がなかったのですが、漱石と<近代>というテーマが、経済が発展するに伴い、精神が物象化される過程を描いたものとして捉えられるのではないか?という観点から、読み始めたものです。 それ以前から、長い大学生生活のなかで、まだアマゾンもなかった時代から、手あたり次第書店に出向いて本を読み漁っていたので、自然とその方面には詳しくなったのですが、特にこれまでに何度も登場する仲正昌樹先生は、新書を出し始めた頃から読んでおり、本格的に現代思想の論を展開する時期が重なり、大いに助けられました。 仲正先生自身、初期の著作に「貨幣空間」というものがあり、決して経済学者ではないものの、統一教会の信者だったころ、マルクス主義を悪魔扱いする教義に触れ、マルクス主義に興味があったようです。 それはともかく、現代思想において、マルクス主義の潮流は決して外せないもののようで、その中から、百花繚乱といっていい、実に様々な思想が展開されたようです。 このようにして、自分の問題意識と、時代のめぐりあわせが、符牒を合わせる格好になったように思われます。 もちろん、普通の意味での経済学も勉強する機会に恵まれましたが、オリジナリティーを出すという意味では、2000年代から語られ始めた、グローバリゼーションを、貨幣という観点から分析する、という方向性になっております。

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