グローバリゼーションと共同体主義

ヘーゲルもある種の共同体主義者なのかも知れないが、現代において、もはや国家を単位とした共同体主義を目指すことは不可能だろう。 そうであれば、グローバル化した現代社会においてviableな共同体主義とはいかなるものなのか、を考える必要がある。 しかし、共同体主義を強調し過ぎると、アーミッシュのような生活をしろという話になりかねない。 期せずして書いたように、政府という肥大化した「代理人」に対して、ジョン・ロックが市民の抵抗権を認めたように、現代社会においても、現代社会のあらゆる構図において見られるプリンシパル=エージェント関係の中での、自主的抵抗を自覚することが可能性として考えられる。

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