やっぱり、近代以降の日本人て、本来は西洋の、ユダヤ教的な、最後の審判というゴールがあって、そこに向かって全力疾走するっていう時間観念に囚われてる気がする。
原武史先生が、日本への近代的な時間観念の導入として指摘するように、明治天皇がご覧になる前で、軍事演習を行う、ということも、三浦雅士さんによれば、軍隊というのが、均質な時間、均質な身体、そしてそれを支える大量生産であることを考えれば、均質な時間観念というのは、戦争であり、それを支える資本主義が要請するところでもあっただろう。
「三四郎」で、体育会でストップウォッチで時間を測る野々宮さんを、主人公が嫌悪する場面があるけど、なるほど、近代批判だな。
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