2022年3月16日水曜日

添削5

第3節 充足される「公的領域」、私化される「個性」――平等という名の均質化された個  ハンナ・アーレントによれば…のような展開の仕方で、  近代経済(学)が統計学(的発想)に支えられて「画一化」を推し進めたこと、伴って、「均質化」された個人から成る「公的領域」が近代社会を蔽い、「差異」としての「個性」は「私的」問題へと駆逐され封じ込められてしまったことを、①②の手順で論じる。 ①「統計学」の発達に支えられた「画一化」の進行=許容されぬ「逸脱」 をポイントに 以下の文章を整理・要約 近代の経済学の根本にあるのはこれと同一の画一主義である。つまり、近代の経済学は、人間は行動するのであって、お互い同士活動するのではないと仮定している。実際、近代の経済学は社会の勃興と時を同じくして誕生し、その主要な技術的道具である統計学とともに、すぐれて社会の科学となった。経済学は、近代に至るまで、倫理学と政治学のあまり重要でない一部分であって、人間は他の分野と同様に、経済行動の分野においても活動するという仮定にもとづいていた。この経済学が科学的性格を帯びるようになったのは、ようやく人間が社会的存在となり、一致して一定の行動パターンに従い、そのため、規則を守らない人たちが非社会的あるいは異常とみなされるようになってからである。(65~66ページ) (中略) しかし、多数を扱う場合に統計学の法則が完全に有効である以上、人口が増大するごとにその有効性が増し、それだけ「逸脱」が激減するのは明らかである。政治の次元でいうと、このことは、一定の政治体で人口が殖えれば殖えるほど、公的領域を構成するものが、政治的なるものよりは、むしろ社会的なるものに次第に変わってゆくということである。(66ページ) (中略) 行動主義とその「法則」は、不幸にも、有効であり、真実を含んでいる。人びとが多くなればなるほど、彼らはいっそう行動するように思われ、いっそう非行動に耐えられなくなるように思われるからである。統計学の面でみれば、このことは偏差がなくなり、標準化が進むことを意味する。現実においては、偉業は、行動の波を防ぎとめるチャンスをますます失い、出来事は、その重要性、つまり歴史的時間を明らかにする能力を失うだろう。統計学的な画一性はけっして無害の科学的理想などではない。社会は型にはまった日常生活の中にどっぷり浸って、社会の存在そのものに固有の科学的外見と仲よく共存しているが、むしろ、統計学的な画一性とは、このような社会の隠れもない政治的理想なのである。(67ページ) (中略) ② ポイントは、「平等」という美名の下に、単に「均質化」された「均一」な個が社会の「公的領域」を構成し、「差異としての個性」は「私的問題」として周縁へ駆逐され、封じ込められてしまう、という大いに歪んだ近代社会の構造。これがこの一節の結論になるように、適宜、アーレントを引用しながら文章を構成すると良い。 大衆社会の出現とともに、社会的なるものの領域は、数世紀の発展の後に、大いに拡大された。そして、今や、社会的領域は、一定の共同体の成員をすべて、平等に、かつ平等の力で、抱擁し、統制するに至っている。しかも、社会はどんな環境のもとでも均一化する。だから、現代世界で平等が勝利したというのは、社会が公的領域を征服し、その結果、区別と差異が個人の私的問題になったという事実を政治的、法的に承認したということにすぎない。(64ページ) 「人間の条件」ハンナ・アーレント ちくま学芸文庫 「私の目に浮かぶのは、数え切れないほど多くの似通って平等な人々が矮小で俗っぽい快楽を胸いっぱいに思い描き、これを得ようと休みなく動きまわる光景である。誰もが自分にひきこもり、他のすべての人々の運命にほとんど関わりをもたない。彼にとっては子供たちと特別の友人だけが人類のすべてである。残りの同胞市民はというと、彼はたしかにその側にいるが、彼らを見ることはない。人々と接触しても、その存在を感じない。自分自身の中だけ、自分のためにのみ存在し、家族はまだあるとしても、祖国はもはやないといってよい。」(アメリカのデモクラシー アレクシス・ド・トクヴィル 第二巻下2596ページ) 問われるべき問題はいかにしたら、このようにして発達した、所有権のような個人の権利の意識が、社会全体への奉仕と一体になることで、より理性的で自由な意識へと陶冶されるかだ、とヘーゲルは考えた。そして、権利と義務が衝突せず、私的な利益と公的な利益が一致するような人間共同体が形成されるならば、その共同体のメンバーの幸福をみずからの幸福と感じ、法や制度に従うことは自己の欲望の否定ではなく、自己の理性的な本性の肯定であると考えるような市民が生まれると主張したのである。国家こそ、このような倫理的共同体における最高次のものだとヘーゲルは考えた。(放送大学「政治学へのいざない」211頁より)

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