2022年3月6日日曜日
断想続き
フーコー学者からすれば、例えば国勢調査などはまさに「生‐政治」の典型だろうけど、自分はこの類の「教科書的フーコー理解」は、結局国家の牧人的国民管理からの反逆、打倒政府、行政性悪説に辿り着くものでしかなく、また、フーコーの考える「生‐政治」の可能性を矮小化させてしまうものだと思う。フーコーの考えた「生‐政治」というのは、常に我々のすぐそばで起こっている現象だと考える。これは『キャラ』の牢獄に閉じ込められた我々に当てはまる。「生‐政治」というのは、「私」が「国家権力」によって常に監視されている、という妄想的発想ではなく、われわれ自身が、お互いを監視し、排除する当事者であるのではないか?というように考えるのです。そう考えれば、<キャラ>はすぐれて「生‐政治」の性質を帯びている。キャラという社会的仮面は、ある種の権力闘争の末に得られるものであり、あたかもゲームで得たポイントに応じて得られるものであり、本来的に素顔ではない。このように考えると、現代人が感じる「疎外」も、貨幣の暴力と本質を同じくすると言えるのでないか。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
据え膳食わぬは男の恥 (再掲)
20年前、 2003年の大晦日に 館林の 中学の同級生の家に 集まって、 もう 彼ら カラオケとかボーリングじゃ 飽き足りなくなってて、 車の免許も 持ってるから、 太田の 歓楽街に連れてかれて、 オッパブ行くことになって、 しょうがないから 付いてった。 今だに キャバクラすら...
-
2021年の大河ドラマは、渋沢栄一を扱っていたが、蚕を飼って桑の葉を食べさせているシーンがあったが、蚕を飼うということは、最終的に絹を作って、輸出するということだから、既に世界的な市場と繋がっていて、本を辿れば、あの時代に既に農家も貨幣経済に部分的に組み入れられていたということ。...
-
もし、日銀が目的としている2%の物価上昇が実現した場合、国債の発行金利が2%以上になるか、利回りが最低でも2%以上になるまで市場価格が下がります。なぜなら、実質金利 (名目利子率-期待インフレ率) がマイナスの (つまり保有していると損をする) 金融商品を買う投資家はいな...
0 件のコメント:
コメントを投稿