2022年3月7日月曜日

私信

必ずしも資本主義に結びつく話かどうかわからないけど、明治維新以降の日本社会は、何か(例えば)天皇に何かを「負っている」という感覚が、社会の秩序維持に一役買っていた、と解釈できる可能性がありそうですね。 原罪と負債の区別は微妙なところですが、夏目漱石が「こころ」のなかで、主人公(先生)が、自殺した友人Kの表情を見ようとして、Kの頭を持ち上げたようとした時に、「ああ、もうダメだ。これからの自分の人生が真っ暗に塗りつぶされてしまった。」と感じた【重さ】のように、それが負債でなく原罪だったとしても、それが社会への従属に結びつく、というのは分からなくもない。 「こころ」の最後に、『先生』が、自分は明治という時代に殉死する、みたいなことを書いてますが、それも、やはり明治天皇に何かの「負債」がある、と感じていた、と言えるのではないでしょうか。 もちろん、そこには、自分の原罪と負債が絡み合っていたと考えることも可能ですが。

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