森本先生より

・・・ことになりそうなので、急ぎ、お昼休憩中に、簡単なご返信をしました。  一篇そのものが、事件的には起伏に乏しい、一種の対話小説、議論小説、のように受け取っていますが、その最も華やかな頂点がセテムブリーニとレオ・ナフタの観念的かつそれなりに論理的な応酬ですね。文面拝読して、セテムブリーニとナフタの対峙に近代理性と中世的キリスト教の表象を見、つまるところはその止揚を読める、という文脈なのだと拝察、なるほど、と、掴みかねていた『魔の山』への一視点を頂戴する思いながら、ただ、二人は拮抗し得るほどには対等ではないような。二人の対決は、まずはやはりセテムブリー二の勝利(ナフタの死)で一段落、そしてラストに姿を現す第一次大戦とハンスの招集で、セテムブリー二的な近代理性およびそれへの信頼は、戦争に象徴される時代の現実の前には太刀打ちできない――混迷を見せ始める西欧近代の理想・知性はもはや精神的処方箋(ちょうど肺病に対するサナトリウムが無効であったように)を持ち得ないと告げているかのようにも思えます。  そもそものヴインケルマンは均衡と調和を重んじるギリシャ回帰派だし(ロマン主義復興の契機ともなったというのは今回、小林君に教えてもらいました)、ニーチェの近代は<狂気>に象徴され、やはりギリシャ悲劇に再生を託しますよね。  上記の人々にあるのは真摯な近代批判とそれに基づいて近代を乗り越えようとする意思の力ではあっても、ロマン主義に留まったり、騎士道恋愛的な超越性へ近接したり、といった姿とはまた一線を画しているような、そんな気がします。  曖昧な記憶に基づいたいい加減なご返信で、申し訳ない限りですが、とりあえず、ということで。

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