村と日本近代

江戸時代の分権的で領邦国家的体制のもとでは、割とユルい支配におかれていた「村」が、明治政府によって、1910年代頃までには、明治政府によって完全に自治体制を骨抜きにされて、国家末端組織に成り下がったようだが、それは、同時に国家の末端に至るまで、戦争を濃厚に意識した体制を、明治日本が整えた、と言えるだろう。 「三四郎」のなかで、体育会で野々宮さんが時計でタイムを測るのを主人公が嫌悪する場面があるが、正確な時間を測る、ということ、そして、体育会という行事自体が、戦争を濃厚に意識したものであることを考えれば、漱石が、社会が否応なく戦争に向かっていくなかで、計量的暴力性の匂いを敏感に感じ取っていたと考えるのは容易だろう。 「それから」の百合のシーンの肉感的理性放擲の描写は、まさしく、そういった計量的理性の物象化からの逃避と、その不可能性を描いたものといえるのではないか。

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