2022年3月7日月曜日

面白い話

内田先生が京大出身だったとは思いもよりませんでした。慌ててWikiを閲覧したら 京大を経て最終学歴は東大でおられるのですね。ついつい、初期の『探偵の社会学』を拾い読みしたまま 終ってしまっており、『国土論』には全く手が届いていませんでした。  ついナショナリズムの話といえば、社会学分野ではそれこそ大澤さんの名著『ナショナリズムの由来』を ボチボチなのですが、最初の期待に反し――ある意味、氏の仕事の本来からいえば当然のことなのですが、 まずは西欧を基準とした普遍的ナショナリズムをめぐる論考で、ついついいい加減な読み方をしています。 内田さんの『国土論』は、ネットで調べてみれば「故郷」論を初め、日本の近代文学には必須の良書ですね。 なぜ、知らなかったのだろう、と猛省しつつ、大いに感謝しております。  本当に有り難う。  なお、大澤氏は用語に慣れてしまえば、論旨展開はやはり非常に論理的です。特に名著の1つ『不可能性の時代』は、 波長さえあってしまえば、お奨め図書について黙視の多い静大の学生から、びっくりするほど正確な書評レポートが 出てきて、しばしば驚かされます。きっと、面白かったのだろうな、と――結局のところはたいへん知的な「オタク」 擁護的論旨を含んでいるためのようです、小林君には合わない話かも、ですが。  師匠の見田宗介(Wikiでは内田氏も見田門下のようで、ほとんどの活躍中の社会学者の一体、何割を輩出しているのか 瞠目します)が戦後社会の動向を「理想の時代から虚構の時代へ」と展開した後を承けて、「虚構」(文芸ではセカイ系)の 壮大な夢に破れたのは「現実への回帰」でしかない、というのが骨子です。もちろん「虚構」への絶望を以て回帰される 「現実」が単純な現実主義であるべくもなく、自爆テロに象徴されるように、潰えたロマンチシズムの反転した現われであり、 時代の文脈としてはグローバリズムーーつまりは相対的な多文化主義に対する徹底した抵抗、即ち「原理主義」の相貌を纏っている、 といった展開になってくるのですが、前々便あたりで交わしていたグローバリズムの中の孤独の話とそのまま合致してきます。 つまりは求むべくもない超越的価値、絶対的な「他者」へのあくなき希求の反転としての現実上の相対的な「他者」に対する否定、 ここ登場してくるのが大澤の造語にしてかつて一世を風靡した「アイロニカルな没入」――不可能を認識しながらほとんど盲目的に そこへ身を投ずる――です。文芸の世界にも――とりわけネット上で展開され続けているやや安直な小説の類の背景には およそ根底にこの構造が横たわっているような気もします。 他に、これの1つ手前の時代までを論じた『虚構の時代』はオウムやナウシカあたりまでが射程に入っていて興味深いし、 東浩紀との対談『自由を考える』は、2人の現代を代表する思想家が共鳴しながらも微妙にして決定的な差異を柔らかに示しています。 初期のものでは『性愛と資本主義』が、実は性愛(異性に対する欲望)と商品をめぐる欲望がある意味、全く同質の現象でありながら、 美醜を分けるのは、恋愛が実は幻想であるにも拘わらず「only you」なる唯一無二の存在を希求する点が一見、純粋に見えるからにすぎず、 1つの幻想が崩れればまた次の幻想を追い求める無限連鎖は、つまるところは商品をめぐるあくなき欲望の下、貨幣が流通するのと構造的に 同一であることを論じて、恋愛が実は資本主義の申し子であるという、これは言い古された議論を卓抜に具体化しているのでは、と思われます。

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