2022年3月4日金曜日
論考3
問われるべき問題はいかにしたら、このようにして発達した、所有権のような個人の権利の意識が、社会全体への奉仕と一体になることで、より理性的で自由な意識へと陶冶されるかだ、とヘーゲルは考えた。そして、権利と義務が衝突せず、私的な利益と公的な利益が一致するような人間共同体が形成されるならば、その共同体のメンバーの幸福をみずからの幸福と感じ、法や制度に従うことは自己の欲望の否定ではなく、自己の理性的な本性の肯定であると考えるような市民が生まれると主張したのである。国家こそ、このような倫理的共同体における最高次のものだとヘーゲルは考えた。(放送大学「政治学へのいざない」211頁より)
ヘーゲルが、国家と(市民)社会とを区別して捉えたことが、国家論の歴史において画期的な意味を持つことであるということはすでに指摘した通りである。その国家と社会の分離の理由として、ヘーゲルは、市民社会には、国家のはたすような真の普遍を支える能力がないからということをあげる。そこで、市民社会の私的利害に対応するだけのものである「契約」という概念によって、国家の成立原理を説明する「社会契約説」に厳しい批判を浴びせることともなった。しかし、それだけではないはずである。というのも、国家と市民社会の分離の把握ということは、市民社会が、相対的にではあっても国家から独立した存在であることの指摘でもあるはずだからである。近代国家においては、プラトンが掲げた理想国家におけるのとは異なって、国家が個人の職業選択に干渉したりはしないし、その他の個人の私生活に干渉したりはしない。同様に、国家が市場原理を廃絶あるいは抑圧するようなこともない。そのように、市民社会が自分独自の原則にしたがって存在し、機能していることが尊重されているということが、近代における個人の解放という観点から見て、重要なことであるはずなのである。それは、ヘーゲル流の表現にしたがうならば、一方では、近代国家なり、近代社会なりが「客観的必然性」によって構成された体制であったとしても、他方では、個人の恣意や偶然を媒介として成り立つにいたった体制だからだということになる。(p.103)
(中略)
近代国家の原理は、主観性の原理がみずからを人格的特殊性の自立的極にまで完成することを許すと同時に、この主観性の原理を実体的統一につれ戻し、こうして主観性の原理そのもののうちにこの統一を保持するという驚嘆すべき強さと深さをもつのである。【260節】
(中略)
国家が、有機体として高度に分節化されるとともに、組織化されているがゆえに、個人の選択意志による決定と行為が保障される。個人は、基本的には自分勝手に自分の人生の方向を決め、自分の利害関心にしたがって活動することが許されている。にもかかわらず、このシステムのなかで「実体的統一」へと連れ戻される。それは強制によるものとは異なったものであり、あくまで個人は自己決定の自由を認められて、恣意にしたがっているにもかかわらず、知らず知らずのうちに組織の原理にしたがってしまうという形を取るのである。また、個人の自律的活動あればこそ、社会組織の方も活性化され、システムとして満足に機能しうる。こうして、有機的組織化と個人の自由意志とは相反するものであるどころか、相互に補い合うものとされている。それが、近代国家というものだというのである。(p.104) 「教養のヘーゲル」佐藤康邦 三元社
日本社会における地域集団の特質を考える上で前提になるのは、日本における近代国家の成立事情である。近代以前の社会においては、どこの国でも地域共同体がすべての基盤になっていて、地域集団はその下に存在していた。そのような前近代の地域共同体が市場経済と資本主義の発展によって徐々に解体し、近代の国家と市民社会が成立するわけだが、その過程については地域によってさまざまな事情が存在した。ヨーロッパの場合、資本主義はゆっくりと時間をかけて発展したので、地域共同体は解体され、自治体や国家の地域組織へと転換していった。他方、もろもろの地域集団はゆるやかな領域性を残しつつも、基本的には任意加入の組織として市民社会を構成することとなる。他方、ヨーロッパ列強によって植民地支配を受けることになる途上国では、地域共同体を構成する伝統的な地域集団とは別個に植民地政府が行政組織を整備するので、長い間伝統的な地域集団は植民地政府とは無関係な民間組織として存続することになる。
これに対して日本のように植民地化を逃れて自前の新政府が急いで近代国家を建設した国においては、まだ解体しきっていなかった地域共同体と地域集団が、国家の地方自治組織と独特の関係を取り結ぶことになる。すなわちヨーロッパのように市民社会を構成する任意団体でも、途上国のような完全な民間組織とも異なる独特の位置づけをもつようになる。先進国と途上国では、その歴史的経緯は異なるとはいえ、いずれも国家や地方自治体と地域集団は全く別物として相互に独立に存在しているが、日本のような後発国では近代国家の制度を早急に作り上げるために、伝統的な地域集団の協力が求められたり、それを国家が巧みに活用したりということがあって両者が不可分な関係にある。 「都市社会構造論」 p.144~145 放送大学大学院教材
1910年代までには、日本の村落共同体は、明治政府により、国家の行政上の末端組織としてその自治を換骨奪胎された。それは、日清・日露戦争を戦うなかで、国家が総力戦体制を整える上で、意図的になされたものである。明治初期の自由民権運動が過激化するなか、自由党員と豪農との結びつきに脅威を感じた、山県有朋はじめ元老は、特に松方正義のデフレ政策による米価の下落を通じた豪農への攻撃を執拗に行う一方、日露戦争後の、日比谷焼き討ち事件、戦争にともなう徴税額の増加による、選挙民の増加等、国政に、一定の納税を納める余力のあるものの参加が徐々にではあるが、増加していった。
地方の在村有力者は、自発的に運動する非選挙民をも組織して、政治的発言力を増した。都市部における政治の組織化は、農村に比べると遅れたが、それは元老らの社会主義への警戒感が特に強かったためと思われる。
都市部では、山の手の、官吏や、アッパークラスの市民が居住する一方、下町では、個人商店を営む零細企業が、財閥系がカバーしきれない需要を満たし、生活していた。むしろ、財閥系の下方の労働者は、自営の個人商店主になることに対して、憧れを抱いていた、と言われる。
いずれにせよ、松方デフレ以降、寄生地主が誕生し、中には都市で生活をするものが現れる一方、小作農は非選挙民に止まったまま、政治的発言力を持たないままだったと考えられる。むしろ、そのような小作農は、地方名望家の運動員として政治運動に参加することで、豪農の政治的補完的役割を果たしていたと考えられる。
このようにして、村は、しばしばノスタルジーをもって語られがちな独立自営的様相を喪っていった。
「近代」化によって、地方とは統治し経営する対象ではあっても、自治を体現するための場ではなくなった。「地方経営」のため中間支配者を官僚化するには、地域の自立性が障害となる。それゆえ、地方経営は「いかに地方を自立させないようにするか」を制度化するものになる。村と国の関係としては、村が府県や国を支えているのではなく、村や府県が国にぶら下がっている(依存している)状態をイメージすればわかりやすい。そして、現場から事実を積み上げていくのではなく、結論から逆算して物事が決まるということが一般化する時代になった。村々は、形の上では「自治権」を与えられ、自治体と位置づけられたが、自治の余地はほとんどなくなった。 「村の日本近代史」ちくま新書 より
現代の先進国においては、ほとんどすべての人が、休みなく消費者として生活している。
そして、消費者として生活するうえでは、ほとんどの場合、金銭のやり取りを伴う。金銭のやりとりを主とする市民社会の誕生は、イギリスの重商主義政策による産業革命の結果生まれた。アダム=スミスの「神の見えざる手」という格言が象徴するように、自由主義市場は、あたかも規制を加えずに放置しておけば、自然と社会が健全に繁栄するという考え方が、支配的になった。しかし、ゲーテが早くも「ファウスト」や「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」、「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」で示唆していたように、貨幣の暴力が人間の無限の欲望を解放し、徒弟制度を中心とした当時の社会秩序を不安定にする側面があったことが表現されている。ヘーゲルは、アダム=スミスや、ジョン・ロック、ホッブズの系譜に属する社会契約論に異議を唱え、倫理的な社会の構築を目指した。それは社会主義経済の遠因となったが、結局は全体の名の下に個人を抑圧する思想に口実を与えることともなった。
ニーチェの「神は死んだ」という宣言の後に、どのような「公共」がありうるか、という問いが提起されている。
国家ないし政治の世界は、それが社会にとっていかに重要で不可欠の機能を果たすにしても、本来道具的ないし手段的な性格をもつにすぎず、したがってそれ自体で究極的な価値や目的を体現することはありえないのだということである。したがって、デューイは政治的なるものが孕む価値的な限界性への自覚を持っていたということである。国家ないし政治の担う価値はどこまで行っても第二次的で、手段的なものでしかなく、だから、他のあらゆる社会的諸価値を吸収したり、またその源泉となるような究極的な価値を体現することは決してありえない。つまり、政治の追求する価値は相対的なものでしかなく、その倫理的絶対化は許されない。 「ジョン・デューイの政治思想」(北樹出版)p.111、112より
丸山眞男は「日本の思想」(岩波新書)で以下のように書いている。
しかしながら天皇制が近代日本の思想的「機軸」として負った役割は単にいわゆる國體観念の教化と浸透という面に尽くされるのではない。それは政治構造としても、また経済・交通・教育・文化を包含する社会体制としても、機構的側面を欠くことはできない。そうして近代化が著しく目立つのは当然にこの側面である。(・・・)むしろ問題はどこまでも制度における精神、制度をつくる精神が、制度の具体的な作用のし方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度にたいする人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば日本国家の認識論的構造にある。
これに関し、仲正昌樹は「日本の思想講義」(作品社)において、つぎのように述べている。
「國體」が融通無碍だという言い方をすると、観念的なもののように聞こえるが、そうではなく、その観念に対応するように、「経済・交通・教育・文化」の各領域における「制度」も徐々に形成されていった。「國體」観念をはっきり教義化しないので、制度との対応関係も最初のうちははっきりと分かりにくかったけど、国体明徴運動から国家総動員体制に向かう時期にはっきりしてきて、目に見える効果をあげるようになった。ということだ。
後期のフーコー(1926-84)に、「統治性」という概念がある。統治のための機構や制度が、人々に具体的行動を取るよう指示したり、禁止したりするだけでなく、そうした操作を通して、人々の振舞い方、考え方を規定し、それを当たり前のことにしていく作用を意味する。人々が制度によって規定された振舞い方を身に付けると、今度はそれが新たな制度形成へとフィードバックしていくわけである。(P.111~112ページより引用
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